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Channel: クルシャの天地
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神社猫と遊行の人

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今回は神社の敷地探索の愉しみ方のひとつを、その手法とともに
簡単にご紹介。ネットのおかげで、神社探索も楽になり、また楽しみ
方もより重層的になって、濃密な時間を過ごせるようになっております。
まずは、冒頭の石碑を御覧下さい。
神社は石碑の宝が集中しております。

石碑には「聖跡二十五拝 第三番」と書いてある。

中途半端に見ておりますと、よくある関連史跡のグルーピングなんだろうくらいに
見て終わってしまうのです。






神社敷地探索の楽しみを尽くそうと思うならば、ここで
「いいキーワードを拾った」と思わなければならないのです。
意識して、意識化することが大事。目に留まったら、見逃さない。
神社とは本来そういう場所です。どこで影向あるか分からない、と
いうわけです。

ボトムアップ式の認識を訓練するのにも神社の敷地探索は有効なのです。



聖跡二十五拝について検索すると、このような結果が、ただちに出て参ります。


さらにリンクをたどりますと、明治初期の遊行人、松浦武四郎という方による
グルーピングらしい。すると、あの石碑は明治初期のものであることが分かるし
松浦武四郎の略伝何かを見ると、とてつもない御仁であることも分かる。
そして何より、グルーピングの目的と意味も理解できる。地域の社寺をまとめた
ものではなく、全国の天満宮を信仰心ある遊行人がリストにしたものであるらしい。






松浦 武四郎は山本亡羊に学んだらしいが、実際この神社の近傍に山本亡羊邸が
あることからすると、学問の上達を祈念するため、若い松浦が亡羊邸から菅大臣神社
まで、かつては繁く通われたのであろう、ということまで思い致すことができて
しまうのであります。

山本亡羊邸と菅大臣神社の位置関係につきましてはこちらのページをご参照ください。
多読多学の人亡羊の弟子が、遊行趣味人の松浦 武四郎であったあたり、師から得た
示唆と知識とを、武四郎が現場で確かめていくような生き方を楽しめた人生であった
ろうことも見えてしまう。実に羨ましい。


この日は摂社の軒下に猫が休んでいました。








山本亡羊の亡羊とはおそらく「多岐亡羊」が本義。
ご自身でも収拾がつかないくらい膨大な事物の分類致知に没頭されたのであろう
と思われる。そのため、資料となれば汗牛充棟であって現地で何かを実見する
余裕もなかったところ、師の言葉に為されなかった希求といったものを武四郎
が純粋に実現していったというわけで、そうした何か夢のような実現が神社の
境内脇に残されている、というわけです。

亡羊に学んだ事物、植物や古跡と各地で出会う度に、武四郎は何か輝くようなもの
を前にするような感動を繰り返したかもしれない。亡羊の知識が本物であったから
こそ、明治の遊行人は単に己独りの満足だけでなく、全国の事物の価値の再評価
もできたわけで、師の名を更に高めることもできた。このような人たちを今の社会
は受け入れる素地があるのだろうか、などと足下を見るとやや寂しい。





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