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Channel: クルシャの天地
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また増えたおもちゃ

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先日ですね、朝食をいただきながらアニマルプラネットを視聴しておりますと
へんな癖のある猫のことが話題になってました。

浄水器のカートリッジをくわえて持ち去り、その家の階段の下にこっそり置く
という謎の行動を繰り返している猫のお話。








咥えだして運ぶ、というのは母猫が子猫を運ぶ行動に似てますが、移動先が
なぜそんなに安全でも無い(子猫を運ぶならまず安全な場所)階段の下なんか
に置くのか分からないし、当の猫だってカートリッジを子猫だと思ってるわけで
はなさそうです。







クルシャ君のおもちゃ使いを細かく観察すれば、何か分かるかも知れないと
毎日見ていても、どうもヒトの作りがちなモデルの基本形が邪魔している
ような気がする。

カートリッジを階段の下に置く猫は、偶然やってみてうまくいったから、行動が
セット化されただけかもしれないんですよね。







つまり、そんなに意味はない。

身体の統制とか、知覚の統御とか行動の前後での状況変化とか、一連の流れを
セットにして単位にして、さらに単純化することで意識の集中継続による消耗と来たるべき混沌とを
経済化するというのがArnold GehlenのAnthropologieの教説の一部であったように覚えている
のでありますが、ここにもし「自転車の乗り方を覚える」なんていう目的も無く、なんでもやってみて
行動がセット化されたならば保存して、いつでも好きなときにスイッチを入れる、というドクトリン
を個体が採用したならば、それはちょうど、へんな癖のある猫のような行動を示すでありましょう。








きみたち猫には、ひょっとすると、強力な指導者が必要なのではなかろうか。









この観察によって、行動の形成に関しては人間が何か特別本能の呪いから解放されている
わけでも、何か基本的な欠陥(Gehlen)に呪われているわけでもなく、AIやロボットの
学習過程においてスーパーバイズしないとゴミ書類ばかり蓄積してしまうのと変わらない
ようなことが自然状態として平均的に発生するのであろうという予測ができる。






すると基底部を探ったつもりでも、結局は古代のパイデイア概念とかああいうのに戻って
しまうんですかね。できれば、クルシャ君が何かを目的にしておもちゃをその都度撰んで
いるのではないかという仮説に持っていきたかったんだが、どうも無理そうです。









クルシャ君に新しいおもちゃがプレゼントされました。




またたびのおもちゃに反応する猫




またたびの香り付きです。

形がバナナなのは、もうよく分からない。


それなりに反応しております。








クルシャ君のおもちゃ入れの中に入れておきますね。
ちなみに、クルシャ君が撰んで持ってくる頻度は、飼主がクルシャ君と
遊んだところ、彼が楽しかったらしいおもちゃから優先度が高くなり
頻度も上がるということが確認されております。







でも、どれにしようかいつも迷うのですよ



ほんとかよ。








これが、どうもクルシャ君が迷っている現場らしいのですが、
まず、「どれにしようか迷う」というクルシャ君の言表が何を
意味するのかがまた分からない。とりあえず、「どれ」というのは
「このおもちゃのうちのどれかを」という意味ではない、というのが
明らかになっております。






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