前回予告致しました通り、京都中心部にある御金神社に参っております。
神社前にはこのような記事の切り抜きがありました。
神社の営業方針や、細部の情報が欲しい飼主には単に情報源として
有難い一方、誰もが感じるあの独特の寂寥感が漂うのです。
独特の寂寥感、それはシャッター通り商店街で、なんとか頑張って店を
開けているところがあって、店内からはみ出すようにポップや注目
を惹くための工夫があちこにあるのだけれど、どれもすでに色あせて
しまっていて往事の注目も無くなっているばかりか、すでに用済みに
なってしまって無気味でさえあるにもかかわらず、撤去される
気配も無いまま放置され続けている無残な現状、に通じるそれ、であります。
あるいは人の来ない中華料理店の端っこに油まみれになって、もはや字も
読めなくなっている、どこかの誰かが置いて行ったであろう色紙のようなもの
が纏う雰囲気、であります。
こちらの人寄せ情報の掲示は、まだ現役です。しかも参拝客がきりも無く続く
のですから、相当な崇敬を集めている、すなわち神社の模様替えが成功した例
であると言えます。
昔、東京都心だったんですが、人が入らない店がありまして、営業中はずっと
人寄せ用の音楽入りアナウンスをエンドレスで通りに向けて流している
「なんとか村」という店がございまして、通りは賑やかなのに、それはもう
堪えられないような寂寥感を発散しておりました。
「今、巷のヤングたちに大人気なのは、ここ、なんとか村~」
なぜあんな無残なことをするのか、理解できない。
御金神社と申しますが、元来はいわゆる流通貨幣にまつわる神社ではありません
でした。いつからか、オカネに通じる縁起の良さを分かり易く訴えた神社に
変容したのでございます。
銭洗い、してきましたよ。
ここ、手水なんですけどね。いいのかな。
洗った財布の銭はお賽銭とおみくじに使いますよ。
目に痛いくらい金色の縁起物が並んでいるのが、こちらの特徴。
21世紀の寺社の生き残り策のひとつ、それはインパクト勝負。
よく見ますと、手水屋の瓦までもが一部金色になっております。
丸に金ですからね。
このさい、おみくじまでも金色。
やると決めたら、躊躇しない。
おみくじ、購入致しました。皆様のご多幸を祈り、行く末を神に諮りましたところ
めでたく大吉。
ちなみに、おみくじを返す場所を確認したところ、同じ種類のおみくじ
で「中吉」なんかがありましたので、金色みくじは全部「大吉」なんてこと
はないのです。故に、正しく「大吉」なのであります。
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