クルシャ君の横顔。
こちらでも参加させていただいている、ブログ交流サイトブログ村の
ブログの紹介文にはクルシャ君のことを「丸顔猫」と書いてあります。
今まで彼が丸顔であることについて、疑問を持っていなかったのですが
動画や他のネット上の写真でラガマフィンの顔を見慣れてくるとですね、
どうもこいつ丸顔じゃないぞ
と理解するようになりました。
2012年当時、ラガマフィンが珍しかったので、つい先代のウルタ君らと
比較して「丸顔」と表現していたものの、ラガマフィンって飼主の見た範囲
ではおよそ丸顔なんですよね。
でも、そうそう。思い出した。
あの頃、ラガマフィン?なにそれ?スコーンの仲間?という程度の認識度だった
飼主も、ラガマフィン自体を猫種として紹介するのに「丸顔猫」と言っていた
のでした。
認識や状況が変化すると、表現が検閲されてしまうという好例ですよね。
メソポタミアでは紀元前1800年頃に全面的な神話の書き換え運動が起きたことがはっきりしてます。
『エヌマエリシュ』なんかそのまま読んで、最古の記録だなんて思ってるとすぐ否定され
ます。大体あんなのは残したい人たちが残したんだからね。
小鳥のような猫の目に寄る
そこで、安易な検閲をせずに、再認識なのです。
クルシャ君は丸顔ですか?
丸顔だ丸顔だと思ってましたが、ラガマフィンの中では鋭角的な顔つきしてます。
ということで、丸顔猫の中の鋭面クルシャ君、という注釈に落ち着くのでした。
そういえば注釈とか秘伝とかいうのも検閲みたいなものでね、『太平記』ひとつを
例に挙げると分かりやすいと思うんだけれども(長いので割愛)
*和歌山電鉄の三毛猫たま駅長、死んだそうです。
気持ちは分かるのですが、日本語として猫に「亡くなる」は
使えない。それで、報道はどこでも「死んだ」「死亡」と書いてあります。
たま駅長に飼い主は会えなかった。でも、世界に愛された猫の一匹として
この猫の国日本に存在を知られたことを飼い主は心強く思うのです。
穏やかでいい子でしたね。明日からきっと弔いに訪れる人たちが集まること
でしょう。彼らも猫の国日本の国民です。
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