前回までのあらすじ
飼主一行は、古くから参詣の絶えない北野天満宮とその周辺を
主に古い時代の名残を求めて歩き回った。単に見て回るだけに
していればいいところを、なんでも古ければ味があるとかレトロ
だなどと通ぶった感興に任せて、ついに時代に取り残されたよう
な傾いたそば屋(現役)に入って、沈む。そのまま時間の裂け目に
呑み込まれて化石になってしまいそうだったが、京都では70年や
100年など過去のうちに入らないことを思い出し、傾いた蕎麦屋(水屋箪笥が現役)
を脱出したのである。
今宮神社にやって参りました。
さっそくですが、こちらは今宮神社の狛犬の尻尾。
個性的です。火焔型ですが、三つに分かれていますね。
時代の澱を体に入れたような感じで、放っておくとカダノトーアに呪われた
ように体の重さが増してくるので、今宮神社で石化の災いを浄めようというのです。
夕方になってきたので、斜めの光が狛犬の見事な筋骨の描写を浮き上がらせています。
見たことの無い生き物の姿を見事に形にしてきた石工たちの想像力と技術。
今宮神社の境内には松が茂っています。
秀吉の茶会も、北野松原で行われたというくらいなので、このあたり一体
松ばかりだったことと思われます。松ばかり、というと『道成寺』ですが。
この日はもちろん、松ばかりというより蝉ばかりです。蝉以外にも何種類か
甲虫を見ました。例によって参道を警戒感もなく歩いていたので、つまんで
脇に放って歩いたのです。境内の樹木も勢いを増して、他の生き物たちに圧され
ないように香気を放っていたわけで、飼主だけが石になりそうになって、この
神域に辿り着いたわけです。
真夏の今宮神社境内
こうして見渡すと、石化の呪いに効きそうなものがいろいろとあります。
まずは手水だ。
手水を使った後で、境内の摂社を見て回ります。
ひとつ上の写真に見える奥の鳥居をくぐった先から見下ろした写真。
もちろん、拝殿にも参ってから「何故、疫神社の名を参拝客に伏せるのだろう」と
野暮なことを考えながら、もちろん疫神社にも参拝して、扁額奉納堂に行って上を
見上げますと、「三笑」の絵馬が掛かっています。
楽しく話している間に虎渓を過ぎたので、儒仏道の達者たちが気付いて笑うという
飼主の特別好きな話題ですね。
かつて諸橋徹次御大が、富士山に儒仏道の教祖が集まって議論するなんていう小説
を書いてまして、読みふけったものの「ちぇっ、結局孔子様の独占場じゃないか」と
思った10代の頃を懐かしく思い出されます。
狛犬の台座を支えている鬼たち。
この形式はまったくもって仏教様式だと思うのですが、いまさらですかね。
こちらはの狛犬は見事な尻尾の持ち主です。
海洋低生刺胞動物ウミエラに似ています。
尻尾が、ですよ。
まるで合成してかのような写真になっていますが、加工は施して
おりません。なんとなく神々しい感じ。こういうのを影向と呼ぶのかも
しれません。
質料が石であるところの狛犬のおかげで、飼主の石化の呪いも解けたということで
門前にある炙り餅の店に立ち寄ります。
なぜかいつも今宮の参拝者より炙り餅の店の方がずっと賑わっているように思える
のですが、境内が広いから錯覚しているのかどうか。とにかく満員の座敷の中で
良い席を確保して、気分もお腹の中も一新することができました。
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