今日は比較的よく構ったので、クルシャ君は満足しています。
下を向いていても、そんなに不満そうに見えないのは気のせいなのか。
カメラを向けると、間合いを詰めてくるので、こんな写真になりました。
近くで見ても、クルシャ君の目に不満や怒りが無くて穏やかであること
がよく分かると思います。
実は、食事が終わった直後なのです。
食事の後、顔を洗う猫
食後の顔洗い。お手入れを念入りにやっていて、集中しているようでも
何か気配があると、素早く反応して振り向きます。
長毛でも猫。クルシャ君も猫。
食事も終わって、お手入れも済んで、遊び終わっても、まだ眠くなりませんね。
もし寝ないなら、春の花でも見に行きますか。
藤が満開です。そよ風が吹くと、藤の芳香が漂います。
日は柔らかで、藤棚の上にはクマバチの一群がうなっています。
満開の時期は過ぎたようで、藤の花が地面に散っています。
藤棚の下では誰でも穏やかになりますね。大晦日の年越しを待っている間には
誰でも殊勝な気持ちになるようなもので。こういう特別な時間というのは、繰り返しながら
また特別な時間として屹立するわけです。それは、日本神話で「天の〜」という場所や道具
が特別なものとして、全ての関連する日常の途中で屹立するようなものです。神話学では
そういう説明をする。天の岩戸とか天の鳥船とか、どこかこの世の連続した空間にあるわけ
ではないものが、常に立ち上がるのです。状況さえ整えば、いつでも立ち上がる。藤の芳香
を感じれば、いつでも誰もが最初に藤の芳香に出会った幼い頃に戻るように。記憶と神話とは
同じ時間と空間の形式を共有しているわけですよ。
ひとつできました。
ではどうぞ。
花を星 土を夜空と変じ居り
風に揺れ散る 天の藤房 くるしゃ
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