先代の猫ウルタ君がまだ子猫の頃からこのブログは続けています。
その間何もなかったわけではなく、基本的に叩かれ踏まれること
ばかりだったわけですが、ブログを止めようと思ったことがあり
ません。
飼主にとって必要だったのかもしれません。
痛くて辛いときには、ここでじっとしていられました。
全てを失った時も、もう滅びるしかないと思った時も
ここだけは休息の場所であり続けてくれました。
話題がなくても、モニターに向かっていると、何か書けてしまうものです。
小さく、無名で、取り残されているのは飼主と同じようなブログです。
猫を見ていると、クルシャ君の姿をこうして改めて見ていると、飼主は自分の
素直な素のありように戻っているのだと思います。ふくらまない、縮まない。
猫は人の余計なかざりものを見ないから、一息吐ける場所をくれるのでしょう。
かじけて、へこんで、すり切れて、機械的になってしまうような仕掛けがこの世界には
たくさんあります。残念なことに、理想を実現しようとすると人間はそんな仕掛けを
作ってしまうのです。
飼主はウルタ君との日々、クルシャ君との毎日をこのブログでも生きることによって
世間的には潰されても、仕掛けに加工処理されないような選択をするように、彼等
銀色の猫たちに導かれたのだと信じていいと思います。
これからも、クルシャ君との日々はこの場所で続きます。
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