寒うござる。こういうときは、猫でも抱いて本でも読んでいたいの
ですが、猫が膝を離れずにいると、目が痛くなってきて、肩も凝ってきて、寒いので
神経痛にでもなりそうで敵いません。そんな心配をする前に、クルシャ君がそもそも
膝に上がってくれません。
何か猫の話題で、暖かそうなものでもないかと探してみたら、
石山石燕という妖怪画家の『百器徒然草』という本の中に五徳猫
というのが出てくる。
頭に五徳を乗せた猫が囲炉裏で火を吹いている、という妖怪であります。
この囲炉裏端と猫の組み合わせは、冬ならではです。
これと別に消し炭と灰が残った台所の竈の中の猫、というのがあります。
今日はこの二つのお話をいたしましょう。
囲炉裏の側は猫の居場所だから、五徳を頭に乗せているのだろう、というような
発想かもしれないが、五徳自体は呪物でもあって、例の丑の刻参りというやつで
白装束のざんばら髪が五徳を頭に乗せて蝋燭を立てている。暖かくもなんともない
寒々しい話になってきていて、恐縮であります。
いずれ、バケモノというのは五徳でも乗せるのだろうと思ったら、そうでもない。
上の「五徳猫」の解説に「五徳冠者」との附会説があるが、ここに何の一貫性も
ない。ただ五徳つながりなだけなのです。そこで、別の五徳であろうと調べてみると
清の時代の康煕帝が編纂させた『淵鑑類函』という百科事典の猫の項目に笑い話が
載っている。
ここからようやく暖かそうな話になってきます。
さて、どこの僧侶も話芸をひとつの世渡りの道具としたようで、見知らぬ者を
打ち解けさせ、一泊の恩にでも報いるには愛想良くして仕込んだ笑い話でも
披露するのが早道だったようですな。
宿泊を求めた僧侶が囲炉裏端に座っていると、その家の猫がやってきて僧侶の
側を離れない。僧侶がそれに気付いて「ところでご主人は鶏に五徳あり」という
話を聞かれたことがあろうが、時を告げるとか、まあそんなことで鶏にも性によって
徳が授けられているという話です。さて「猫に五徳あり」と聞けば意外でありま
しょう。猫には「仁・義・礼・智・信」の五徳が備わっておるのです。
第一に、ネズミを見て敢えて取らないというのが仁であり、ネズミに餌をとられても
ぼんやりして見過ごすというのが義であり、餌皿に食べ物を置いて呼べば必ず来ると
いうのは礼であります。また、なんでもイタズラして物を盗むことにかけては智で
あり、寒いときにには必ず火の消えた竈に潜り込んで灰だらけになる、というのは
信であります。などと語ったもので、主人は毎度灰だらけの猫を見ているので僧侶
の仕込んだ話が大当たりして、相当笑ったそうな。
石燕の「五徳猫」の出所は、おそらくこんなところでしょう。
寒い冬の朝に湯を沸かす時には、まず竈から灰だらけの猫を追い出さないと
いけなかったんですな。こういうので「猫の五徳」じゃ、とみんな笑ってた。
このときの「五徳」とは、『淵鑑類函』の笑い話に出てくる「五徳」のことです。
そうしているうちに、何が五徳だったかが外れて、「五徳猫」の妖怪が
現れてくると、手近な附会説が記されるようになる。そして最後は、湯沸かしに
使う「五徳」だけが残った。
クルシャ君、また聞いてませんね。
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