クルシャ君も聞いてるかもしれませんが、今年の四月二十日に京都祇園祭の山鉾巡行を中止するという決定が下されました。
例年、今頃になりますと、祇園囃子を練習している音が窓を開けると夜に聞こえてきたりしてたんですが、鉾立てはあっても祇園囃子が無かったりするんだろうか。
かなり昔には、松原通で巡行してたらしいですね。
調べました。山鉾巡行路は何度も変更されていて、1955年までは松原通を通ってたらしい。よくこんな狭いところ通せたものだ。
と思いまして、名残らしきものを探したら、すぐ近くにありました。
三階に望楼が付いている町家。
ほかではあまり見ない。おそらく巡行のためだけに造られた贅沢な施設だったのではないでしょうか。
今では御覧の通り、両脇をビルに挟まれてしまっております。
ビルがありますと、野外の窓からこうした夜景が滲んできます。
目の前をゆらゆらと長刀鉾が通っていったら、クルシャ君驚きますよね。
いいえ、やっつけてやります(ぺろり)。
そんなことしたら、午頭天王の罰が当たるらしいよ。
そうなんですか。
いや知らないけど。疫病除けのお祭りなので、疫病になるんじゃないか。
松原を通っていたのは、おそらく日本医神開祖である五條天神を敬ってのことだろう。日本のアスクレピオスなんですよね。機能としても五條天神はアスクレペイオンとほぼ同じ役割を、ほぼ同じような手法で為していただろう。境内には宿泊所があって、治癒の方法を夢見の中で授かる。昼は手当てに慣れた者たちが参詣者らの面倒をみていた。
午頭天王は厄神ですよね。
財力に任して悪事を貫こうとした悪人を蹴り殺した怒れる義神でもあるんですよ。義しいから恐ろしい。
そして、午頭天王を鎮めるのが祇園祭とも言われるが、巡行路には医神の社もきちんと入っていた。祭というのは古人によってよくよく練られた執行計画でもあるのです。
何をしようとしていたかは、午頭天王に内緒にしてください。
そんなふうにしおらしくなっていったんだろうね、昔の人たちも。
ウルタールのうる: 巻三十 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや