この日はクルシャ君から新しいおともだちの紹介をしてもらいました。
6月になって、家の中から猫が探し出してくる、その新しい友達って何だろう?
ちょっと恐い想像をさせてしまったならば、申し訳ありません。
クルシャ君の感覚から、おもちゃのことを見ると、未分化な領域にともだちとおもちゃが分類されているらしいことが観察されるのです。
おもちゃなので、手遊びや擬似的な狩りの対象となる何か、はクルシャ君にとって、同時に同じ何かが、仲良しの時間や楽しいことを共有した何か、と同じ何か、になるらしいのです。
ヒトでも同様のことはあります。
観念連合と呼ばれています。
確かオキーフなんかは、象徴の起源は観念連合のフラグメントの山であると、はっきり言っててなかなか過激だなと思いましたね。
今回クルシャ君が紹介してくれた、ともだちは、ゴミ箱から救い出されたラップを棒状に自分で加工したもの。
おもちゃの手作りもするようになりました。
偶然引っ張ったら伸びただけだと思いますけどね。
そのおもちゃ、じゃなかった、おともだちが待っている処に、飼主を案内したクルシャ君は、おともだちの前でセット姿勢を取って、これですと示してくれました。
セット姿勢は犬にも見られる行動で、目標物を他者に対して強調する際のポーズです。セッターという犬種は、狩猟で用いられますが、鳥なんかが落ちた場所を探して「ここに落ちてますぜ」と示す目的で作られたとか。
伏せの姿勢で、対象物に対して前脚を揃えて向けます。
我々は特定の言葉をセットするときに「 」とか" "とか使います。
そのおともだち、は最初はおもちゃだったのです。
飼主は棒状のラップでクルシャ君の要求通りに、彼をいくらかじゃらしてその後にラップをまたゴミ箱に入れました。
すると、翌朝、おもちゃはまたクルシャ君によって救出されていて、見ると彼の餌台の横に置かれていたのでした。
おもちゃが、彼の観念連合領域に於いて、ともだちとなったことが分かります。
ウルタールのうる: 巻二十五 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや