カフェテーブルを存分に占領しているクルシャ君。
前回、9月19日の記事「和室の猫台」でクルシャ君が
新しく入ったテーブルをのびのびと占拠している様子などをご紹介いたしました。
巷の猫漫画などでよくある描写として、猫がベッドに入り込んで来ると
縦に眠っている人の横に最初は寄り添ってきて、いずれ長く伸び出して、
さらに縦に寝ているところを横になってきて、さらに横幅を占拠し始めて
眠っている人を、ベッド脇に追いやり、自分は縦のベッドを横にして
専横甚だしくなるといったネタがございますけれども、どうも、猫というのは
そんなところがある。
そんなところというのは、とにかく身体の及ぶ限りで居場所の占有を
主張して譲らない、といった性向があるんではないかと、思っているのです。
テーブル我が物猫
先月掲載した動画です。
我が身の長さでは余る、和室のテーブルでも、思い切り長くなって
テーブルの広さ長さに自分を合わせていく。
プロクルステスの客を自分でやっているようなものです。
猫だから、こぢんまりしたり、尻尾の力まで借りて伸びたり出来るんでしょうかね、
それなりに狭いところにだって、体を合わせていってしまいます。
どうしても入りたいから。
いけませんか?
いけないかどうかというより、なぜ野党の親分のベッドに眠らされる憐れな
旅人みたいな真似を君らが繰り返してばかり居るのか、それが知りたいんですよね。
たとえば、こちらはカフェテーブルの丸さに尻尾まで合わせて丸くなっているわけですし。
これなんか、もう無理に体を押し込んでますよね。
狭いところに潜りたがるだけではなくて、広ければ、毛を膨らませてでも
背伸びをしてでも、空間に合わせていきたい、そんな感じは何か猫特有の
身体感とかコスモロジーにでも原理的に刻まれてでも居るんですかね?
猫の思いの及ばないことによって、猫もアレンジされているのでしょうか?
それだな。おそらくは、ヒトも。
ウルタールのうる: 巻三十 (うるたやBOOKS)東寺 真生うるたや