掃除中、クルシャ君が拭き終わったテーブルで影に
なっていました。
この夏は梅雨が遅くて、雨ばかり続く、冷たい夏となりました。
昨年だけで、このあたりに繰り返しやってきた台風や洪水や
地震で、随分と失われた形あるものたちを見送ったのですが
今年はもう同じ悲嘆を見ることはないと、そう思ってました。
しかしそうではなかった。
災害ではなく、まさか暴力で文化の一部を剥ぎ取っていかれる
とは思わなかった。
さらに多くの前途ある人命まで。
冷たい夏となっても、不幸を綴ることになる。
せめてこうした不幸が続かないように、クルシャ君を置いて
あとのまつりへと出かけました。
大船鉾が組み上げられています。
今年の茅巻は大船鉾にします。
組み上げ中なので、縄の独特な巻き方までよく観察できます。
祇園囃子はまだ続きます。
この日もずっと雨降りでした。
御霊鎮の祭とは、つまり疫神を封じるとかそうした
未成熟な技術に由来する儀礼では無くて、政治的な
統合力の維持管理についての儀礼なのだと見做した方が
分かりやすくなる。
『旧約聖書』や『ヴェーダ』等で、もしくは『アヴェスター』の
一部の書にも見られる傾向だが、祭事の体系を見えやすくしている
記述の前後において、必ず「魔術の禁止」が徹底して要求されている。
意味も無く「魔術」を弾圧しているわけではなくて、統治の手法
そのものがなにがしかの魔術性を含有しているからだと解釈するの
が正しい。では、統治者による魔術への恐れとは何なのか?
ヒントも答えも祇園祭の中にあるのです。
まあまあ、ぼちぼち。
亡くなられた精霊(みたま)への敬意をこめて。
ウルタールのうる: 巻二十九 (うるたやBOOKS)東寺 真生うるたや