クルシャ君、その昔活字なんてものがあった頃、
知識の提供は、それ自体が社会インフラの整備みたいな
公共的価値を持っていたらしいよ。今でもそう信じられている
し、図書館があるのもこうした理由からなんだけどね。
活字って何ですか?
そこからだよね。
昔の印刷本見ると、字が90度横になってたりすることがある。
一文字だけ真横になっている。
活字使っていたからだ。
写植になってから、横になってる字は見なくなった。
どうでもいいか。
印鑑みたいなのを並べて炭塗って紙を刷る為の部品だと
思って欲しい。ほんの幼い頃、小さな印刷工場から飼主は
そこが廃業するときブレゼントだよといって、活字のセット
貰ったことがある。
それで何をしたかは、また別のお話。
あれ、クルシャ君?
場所移動してましたね。
ランドリールームの布団の上で、布団を毛だらけにするのが
最近のクルシャ君の昼の過ごし方です。
何の話でしたっけ?
知識というのは、食べ物と同じで、無いと餓えを覚えるって
ことですよ。
つらさを抑えるためなら、なんとか手段を講じるものでね。
外を歩いて、知らない花や葉があると、気になって仕方ない。
目に入る星の名を知らないのは辛い。
特に、こういう空き地を見ると、名前知らない草ばかり。
スマホのアプリで、星や草の名前を教えてくれるのがあるんで、
いくつか使ってみましたが、飼主が使いこなせないのかなんだか
分からないが、いまひとつだ。
そういうのはきゃふ不足から、猫がなんでも
おもちゃにしたがるようなものですか?
直接的な遊び要求ですね、クルシャ君。
おもちゃの棒を抱える猫
おもちゃを抱えてもらいました。
ひとりで遊ぶのかと見ていたら、くわえて持ち去って行く
クルシャ君です。
しばらくすると、戻ってきましたが、おもちゃは
どこへ行った?
ウルタールのうる: 巻二十九 (うるたやBOOKS)東寺 真生うるたや