説明も何も置いてないのだが、典型的な織部灯籠に気付いて
こっそりと心中で笑うのも、京都の市街散歩の楽しみ方です。
しなやかに手入れをしているクルシャ君を見ても
春らしい感じ。
出歩くのにも気持ちいい時期です。
そこへ、闖入者が
誰だろうこいつ。
どこかで見たことあるな。
ちょっと回って、前から見てみると分かります。
というより、前からしか見たことがない御方。
若冲の白象ですよね。
鶏を前から描くとかいう斬新な構図でかつて飼主が喫驚した
若冲は、象も前から描いています。
白象というのは、年を経て鼻のあたりが白くなったのを言う
らしいので、このような体色が白い象なんていうのは、仏典
だけ読んで、本物の象を見たこと無い人がたまに描いてます。
それでいいんだと思います。
なんでも図案化していった狩野派には人虎なんてのもある。
京都の美術館のゆるキャラは琳派の虎なんだけれども、ああいう
形式のトラ表現された虎とみるべきなんだよな。名前はりんりんか
何かだったと思います。
この象をよく見ると、耳が仏尊の耳になってるわけでね。
こんな耳した象はいない。
動物群像図の中央に存在していることからも、若冲の構想にあっては
涅槃図のようなものを想定していたものと思われる。
前から見た象を立体化した作品なので、この紙象には、若冲が
思い至らなかったか、気にしてなかった部分のバランスの悪さが
露呈してます。
横から見ると、このバランスだともう歩くことも出来ない感じ。
もうこれ移動するには、転がるしか無いでしょう。
尻尾も描かれていない分は、いい加減な形になってますね。
まあ、ずっと立っているしかないんだろうな。
というわけで
若冲の象は、クルシャ君に転がされるまで、本棚で立っていてもらうことにしましたよ。
ウルタールのうる: 巻二十八 (うるたやBOOKS)東寺 真生うるたや