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Channel: クルシャの天地
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獣対毛モノ

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クルシャ君、冬らしく暖かい敷物やら暖かい靴下やら揃えて
出したところ、いきなり闘いを始めました。






こんな有様です。
基本的に、抱え込んでおいて、噛みながらキックですよ。

敷物も靴下もウール混なものですから、それでやや動物臭がする
ので興奮しているようなのです。






靴下をやっつける猫



動画にしてみました。

自分だって毛モノなんですよね、クルシャ君。
むしろ自分が毛だらけなものだから、毛モノに反応してしまうのであろう、と。









こうしたときは、何か楽しくて仕方ないという感じですよね。

翻って飼主がきゃふきゃふな時っていつだろうと思うと、やはり生きた毛モノたち
を見て可愛くてどきどきしてる時なんでしょうかね。










そんなときはひたすら、かわいい、を連発しているだけなので
端から見ると相当他愛ない感じに映ると思います。










毛モノに興奮しているクルシャ君と同じくらい他愛ないに違いありません。
ところで、そんな他愛ない飼主を見ることできゃふきゃふになる存在は
いないものか。まあ、いませんよね。









きゃふは財になるのです、クルシャ君。財になったきゃふのことをきゃふ玉と
呼びましょう。きゃふ玉には特徴があります。きゃふの気持ちが完結している
こと。きゃふが周囲の者たちの迷惑になるようではいけません。イタズラとの
違いです。きゃふ玉は幸せのシンボルなので、世の中で通用します。きゃふ玉
が増えれば増えるほど、世界は幸せになるのです。









クルシャ君のブログでは、これからもできるだけきゃふ玉を生産していこうと思っておりますよ。





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猫のごとくあれ

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寒うござる。こういうときは、猫でも抱いて本でも読んでいたいの
ですが、猫が膝を離れずにいると、目が痛くなってきて、肩も凝ってきて、寒いので
神経痛にでもなりそうで敵いません。そんな心配をする前に、クルシャ君がそもそも
膝に上がってくれません。







何か猫の話題で、暖かそうなものでもないかと探してみたら、
石山石燕という妖怪画家の『百器徒然草』という本の中に五徳猫
というのが出てくる。

頭に五徳を乗せた猫が囲炉裏で火を吹いている、という妖怪であります。
この囲炉裏端と猫の組み合わせは、冬ならではです。
これと別に消し炭と灰が残った台所の竈の中の猫、というのがあります。
今日はこの二つのお話をいたしましょう。








囲炉裏の側は猫の居場所だから、五徳を頭に乗せているのだろう、というような
発想かもしれないが、五徳自体は呪物でもあって、例の丑の刻参りというやつで
白装束のざんばら髪が五徳を頭に乗せて蝋燭を立てている。暖かくもなんともない
寒々しい話になってきていて、恐縮であります。


いずれ、バケモノというのは五徳でも乗せるのだろうと思ったら、そうでもない。









上の「五徳猫」の解説に「五徳冠者」との附会説があるが、ここに何の一貫性も
ない。ただ五徳つながりなだけなのです。そこで、別の五徳であろうと調べてみると
清の時代の康煕帝が編纂させた『淵鑑類函』という百科事典の猫の項目に笑い話が
載っている。

ここからようやく暖かそうな話になってきます。








さて、どこの僧侶も話芸をひとつの世渡りの道具としたようで、見知らぬ者を
打ち解けさせ、一泊の恩にでも報いるには愛想良くして仕込んだ笑い話でも
披露するのが早道だったようですな。

宿泊を求めた僧侶が囲炉裏端に座っていると、その家の猫がやってきて僧侶の
側を離れない。僧侶がそれに気付いて「ところでご主人は鶏に五徳あり」という
話を聞かれたことがあろうが、時を告げるとか、まあそんなことで鶏にも性によって
徳が授けられているという話です。さて「猫に五徳あり」と聞けば意外でありま
しょう。猫には「仁・義・礼・智・信」の五徳が備わっておるのです。
第一に、ネズミを見て敢えて取らないというのが仁であり、ネズミに餌をとられても
ぼんやりして見過ごすというのが義であり、餌皿に食べ物を置いて呼べば必ず来ると
いうのは礼であります。また、なんでもイタズラして物を盗むことにかけては智で
あり、寒いときにには必ず火の消えた竈に潜り込んで灰だらけになる、というのは
信であります。などと語ったもので、主人は毎度灰だらけの猫を見ているので僧侶
の仕込んだ話が大当たりして、相当笑ったそうな。







石燕の「五徳猫」の出所は、おそらくこんなところでしょう。

寒い冬の朝に湯を沸かす時には、まず竈から灰だらけの猫を追い出さないと
いけなかったんですな。こういうので「猫の五徳」じゃ、とみんな笑ってた。
このときの「五徳」とは、『淵鑑類函』の笑い話に出てくる「五徳」のことです。
そうしているうちに、何が五徳だったかが外れて、「五徳猫」の妖怪が
現れてくると、手近な附会説が記されるようになる。そして最後は、湯沸かしに
使う「五徳」だけが残った。






クルシャ君、また聞いてませんね。




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休める場所

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先代の猫ウルタ君がまだ子猫の頃からこのブログは続けています。
その間何もなかったわけではなく、基本的に叩かれ踏まれること
ばかりだったわけですが、ブログを止めようと思ったことがあり
ません。







飼主にとって必要だったのかもしれません。
痛くて辛いときには、ここでじっとしていられました。

全てを失った時も、もう滅びるしかないと思った時も
ここだけは休息の場所であり続けてくれました。







話題がなくても、モニターに向かっていると、何か書けてしまうものです。

小さく、無名で、取り残されているのは飼主と同じようなブログです。








猫を見ていると、クルシャ君の姿をこうして改めて見ていると、飼主は自分の
素直な素のありように戻っているのだと思います。ふくらまない、縮まない。

猫は人の余計なかざりものを見ないから、一息吐ける場所をくれるのでしょう。










かじけて、へこんで、すり切れて、機械的になってしまうような仕掛けがこの世界には
たくさんあります。残念なことに、理想を実現しようとすると人間はそんな仕掛けを
作ってしまうのです。









飼主はウルタ君との日々、クルシャ君との毎日をこのブログでも生きることによって
世間的には潰されても、仕掛けに加工処理されないような選択をするように、彼等
銀色の猫たちに導かれたのだと信じていいと思います。


これからも、クルシャ君との日々はこの場所で続きます。



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光り輝くクルシャ君

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ベッドの上で興奮しているクルシャ君です。

子供が布団の上ではしゃぐのと多分同じ気持ちで、布団の上を
駆け回るのが大好きのようです。








初雪の上を跳ね回るような感じなのでしょうか。

布団の上にいるクルシャ君を狙って、以前から撮りたかった
姿を撮影することに成功。







残念。ブレてしまいました。








布団にはまって、身体を伸ばしながら見上げている写真が
欲しかったのですが、なかなか撮れません。

こういうのは、ひたすらチャンスを待つしかないのです。








下を向いたので、前に回ってみました。

実は撮りたい写真のイデアというのは、どこか現実ではなくて夢で
見たことがあるようなクルシャ君の姿なのだろうと思っています。
写真にすると違ってしまうけれど、その映像はしっかり覚えているような
高いリアリティの世界の写真なのです。その写真は知っている。でも、
なかなか撮れない。なかなか撮れない、ということが微妙なところで、
決して撮れないわけではなく、稀に撮れてしまうのです。

たとえば




窓辺で挨拶する猫



逆光で輝いているクルシャ君に近寄って行くと、挨拶してくれます。

こんな場面を飼主は夢で見たことがあります。



だとすれば、ベッドの布団にはまって見上げたクルシャ君のイデアも実現し
ないとは限らない。動画で実現したのだから、写真でも。








実現しました。イデアの一枚。










そして、その瞬間を逃すと、いくら呼んでもおだてても、同じ表情を
してくれないのです。






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うる地蔵と初雪

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本日は、飼主がクルシャ君と一緒に体験したものの、敢えて
こちらで報告せずにいた体験を、その結果とともにご報告する
ことになります。







2011年11月21日、突然ウルタ君が去って行ってから、飼主は何も
できなくなってしまって、外に出るとおそらくどうにかなってしまう
かと思われました。その間一ヶ月ほど。

それでも、何か外の世界とつながるために、なんとか選び出したのは
ウルタ君がいなくなる前に何度か通っていた日本酒のイベントでした。







この記事にそのイベントのことが書いてあります。
記事が書かれた時には、ウルタ君がまだ元気だったのです。予約投稿によって彼が去った
後に記事が掲載されたことになっています。イベントに何度か出かけて、そして
中断していたのを、財布の中にあったスタンプカードを見て、近くなので出てみた
というのが最初でした。なんとか出かけられたのですが、ずっとウルタ君のことばかり
考えていて、泣き続けていたと思います。







でも、このイベントこそが、飼主と外の世界とをつなげてくれたのです。

こんな経緯があってから、クルシャ君と過ごすようになっても、毎年出かけています。
そして、9月の末あたりに同じイベントのオープニングのあった当日、その時刻に
クルシャ君と飼主とは家の別の場所から、猫の鈴の音を聴きました。
寝室の辺りから聞こえてきます。クルシャ君は目の前に居て、寝室の方に聞き耳を立てて
います。彼も同じ音を聴いていたのです。その鈴の音はよく知っています。


ウルタ君が懸けていた鈴の音だから。



例のイベントでは、応募用紙に記入すると、伏見の銘酒が一揃い年末に当たるというのです。
今年も参加した結果。









年末に、全種類のイベント参加の銘酒が届きました。

まず、当たらないものと思っていました。









そのときに、9月末に聴いた鈴の音のことを思い出したのです。

そしてまた、ウルタ君は特定の記念日に放送のオファーがあったりする奇跡を
起こして、いつも一緒にいることを教えてくれる猫だということも。








もちろん、得したなんて思いません。実質的にはそうなるのですが、飼主に
とっては、これもウルタ君の挨拶なのです。

「忘れないでね」という挨拶ではありません。憔悴して死にそうだった飼主を
ウルタ君は悲しんで、ようやく外に出たイベントのことを覚えていて欲しいのです。







その日は、西の山に初雪が降りました。

もし飼主に死後も意識があれば、愛した人が自分の死のせいで、いつまでも苦しんで
いるのを喜ぶはずがありません。それよりも、愛した人が幸せであって欲しいはず。

ウルタ君も同じです。









だから、初雪の降った日、ウルタ君は飼主が岩戸から出たことを忘れないように
挨拶をくれたのだと思っています。鈴の音とセットになった挨拶です。おそらく
彼の感覚では、初雪の日と9月の末と同じ折り目で時間が重なっているのです。


雪の年末、かさじぞうのようなお話です。







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奇跡は人を必ず謙虚にする

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何らかの力の実質を感じながら倨傲であり得る、なんてことはありません。

人より後れていると知らなければ、傲慢にはならないのです。

何かひとつでも確実に特別なことを為し得たなら、必ず謙虚になるはずです。
そんなことがようやく分かってきました。







実は、前回の記事の続きなのです。

こちらは、送られてきた箱の中身。
全部ではありませんが、並べて見ますと数があります。







こういうの見ると泣けてしまいます。

何事もおかげを思って泣いてしまうというのは、日本人だけらしいですな。


ウルタ君とずっと一緒にいること、を実現したと言っていいと思っています。
そして、これらの奇跡はあり得ないことではないのです。
だから飼主は頭を下げる。






日々、昂然としているのはこの猫。








高のぼりと言われようが、煙みたいに軽いからだと言われようが
「重さの霊」という前時代の悪癖をやっつけるのが、クルシャ君。









どこからやってきたのだか分からない習慣や価値なんかに頭を押さえつけられて
「こういうものだ」と平伏させられるものか、とこの口が言っております。

そりゃ、よく分かるんだが、飼主はその先を見たいんだよね。

大体そのへんでみんな止まってしまうのだよ。




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姫君はよく見ると美形であった

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最近ですが、冬毛が安定して伸びてきたアリアンが綺麗に
なってきました。








失礼だが、アリアンこんなに綺麗だったかな、と。

瞳の色はクルシャ君とそっくりなグリーンです。








つい、彼女の複雑な毛色と柄にばかり目が行っていて、こんなに
美形だとは知りませんでした。

姫君は今まで衣装ばかり見られていたようです。









今は冬の盛りで、ふわふわでさらさらです。








つい、触ってみたくなります。







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しっぽを立てて猫歩き

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猫のように歩く。

つま先立ちで、前脚に後ろ脚の足跡を合わせるように繊細に
几帳面に優雅に歩く。その姿は隙がなく、充実していて、不敵。









夜中に見下ろしていると、どこかの野生の弱い妖精みたいな
クルシャ君でも、猫らしい歩き方をすることがあります。

弱い妖精、この弱いっていうところが大事。
天狗でいうと木葉天狗(こっぱてんぐ)というやつです。







あの歩き方に名前はついていないものかと、キャットウォークという言葉を
調べたのですが、違う意味ですね。高所作業用の細い簡易通路のことを
キャットウォークというのです。確かに、高くて細い場所を器用に猫が歩いて
ますよね。ファッションショーのランウェイもキャットウォークと呼ぶらしい。

やはり細い通路のことなのですが、「猫っぽく歩く」というニュアンスが入って
いるのかもしれません。








あの歩き方に名前があるならお教え願いたい。

「猫のように歩く」としか言えないのかな。


そんなクルシャ君の、猫っぽい歩き方。いまのところ最も猫らしい歩き方
を動画にすることができました。





尻尾を立てて歩く猫




基本はやはり、こうして存分にしっぽを立てて歩くことですよね。

前から見るとお獅子。後ろから見ると、ジョセフィン・ベイカー。

なんだそれ、と思う方はバーレスクな感じだと思って下さい。










このいたずら小僧が、バーレスク。





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今年最初のランス君

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アリアンらのところにご挨拶に出かけました。

ノルウェージャンのアリアンは、足先がグローブとソックスになっていて
雪に巻かれたようなふわふわな白い毛で覆われています。

しかも、雪の上を歩く猫だったようで、足先が普通より大きくなってます。

ユキヒョウを動物園で見る機会があったら、その足を見て下さい。
特別大きな足です。雪の上歩いているから。








足先が魅力のアリアンと軽く挨拶して、抱き上げると表面が
すこし冷たい毛並みを感じます。









こんなにふわふわですが、表面の毛はやや硬くて、汚れや雪なんかを
よく落とせるようになってます。コートと同じです。










いつもは隠れているランス君も出てきてくれました。








彼も、フレンドリーなときはあって、近寄ると何度も瞬きして挨拶して
くれるのです。









でも、ちょっと緊張して舌を出してます。









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1月最後のクルシャ君

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今月は、月初の正月休みあたりに偏った生活をしたので、具合が悪くなりました。
無理もバランスの変更も効かなくなりました。






一方、これからいろんな無理にチャレンジしていくクルシャ君。

彼からしてみると、思い通りにならないことも多いんだろうな。

飼主も細かくチャレンジ中。たとえば「メルマ」の電子書籍で創作童話「水牛」を刊行
してみましたよ。「ウルタールのうる」の中のエピソードの中のエピソードですね。








クルシャ君が思い通りになってないことはほとんどないと思いますが、
仮にあったとすれば、なんとか我慢してもらおう。









クルシャ君は二月の節分の日に飼主の所にやってきました。

もうすぐですね。

節分が近くなって、恵方巻きなんかの宣伝を見ると、彼を迎えた日のことを
思い出します。










誰かのために生きているリアルな関係がぼくらを悪いものから守って
くれているのかもしれないよね。







もしかすると、それを「希望」と呼ぶのかもしれない。





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アリアン優雅に甘える

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テレビの裏に隠れていない時には、ピアノの下に隠れている
ランス君。







色が似ているから見分けづらいのですが、さすがに昼間だと
分かりやすいですね。








ロシアンブルーとしては破格の大きさ。

クルシャ君を手先でもって転がすことができるでしょう。

やれるかどうかは別として。






いつもより近寄りましたが、怖がりませんでした。
気分によって、仲良くなれたり、遊べたりします。


この日は気分が良かったようです。


一方、アリアンは







背中で誘う猫




今日も大歓迎してくれました。







ランス君とアリアンにとって、冬は自分たちの季節。









このみっちりと生えた毛があれば、風邪なんかひきません。









見た目も綺麗になってるし、楽しいし最高なのですが、いつまでも
冬ではありません。








あと二、三ヶ月したらゴージャスな季節も終わりです。






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夢で見たあの場所に行こう1

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アリアンと遊んでいる近くあたりは、かつて栄えた盛り場
でした。そのもっと前は西陣という陣があったようです。







今、観光地以外でも京都の街並みは、たいへんな速さで変わっています。

記憶の中のあの京都に行こうと思っても、思い立った時には空き地になって
いるかもしれません。






たまに、仁丹の看板は見つけられますが、これもいつまであることか。







奥の方に見える、張り出した二階と、手前にあるブロック塀。
下町なら今でも簡単に見つけられそうですが、この街の変化は歴史を語る
割には、不寛容なくらい過去に対して残酷です。いずれ、こんなありきたり
なものでさえ、跡形も無くなってしまうのです。







だから、今のうちに飼主にはやっておかなければならないことがあるのです。

こうした建物が消えてしまう前に、あの場所を探しておきたい。








あの場所、とはどこか分からない場所です。おそらくどこにもない場所なのですが
たまに連れて行かれるので、印象だけ残っている場所。それは夢で出かける場所
だから、地上のどこでもないわけです。広くて、明るく、見通しの良い、威圧的な
感じのする場所であったり、暗くて狭くて猥雑で人の気配の絶えない場所であった
りします。








飼主と同じ発想を敷衍した人たちが大勢居ます。彼等はおよそ、こんなことを言います。

それは人の夢の中に織り込まれている普遍的な街並で、かつてあったかもしれないし、
将来に見られるかも知れないが、現実である必要はなく、可能な状態で半現実のまま
ストックされている。その姿を現実にすると、懐かしく思えたり、寒々しくかじかんだ
印象になる。初めて出かけた街で、そんな印象を得るのは、誰もが夢で出かける「そこ」
の半現実を、現在の印象が喚起しているからだ。









そうなのかもね。
というより、人である限り、見ているものはそうそう変わらないと思って
良いのです。夢の世界まで飛び抜けて変な人、なんてまずいませんよ。









たとえば、この黒板塀の下に小川か用水路があって、電柱の代わりに太い樹が
あれば、どこかで通ったことがあるような気分になるものです。
え、ならない?

ならないこともある。








いずれ、こういうのを探して回る散歩をするということなのです。

忘れられたり、消え去る手前のものたちには、すでに現実から一歩引いている
という状態にあることによって、例の半現実の可能的な街のストックにより近い
状態にあると言えましょう。

京都は、こういう地蔵堂があちこちにあります。ただ、よく探さないと隠されて
いることがある。


もうすこし、見て回りましょう。





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夢で見たあの場所に行こう2

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'World's Hairiest Cat,' A Guinness World Record!(+ 再生リスト)



今年のギネスブックで「毛の長さ世界一」になっていた「ミャウ大佐」が帰天
したそうです。まだ二歳の若さだったそうです。世界中で愛されたミャウ大佐。
大佐の生前の姿ですが、毛が長すぎると、どう伸びているのか分かりませんね。
毛の長さの階級でいうと、猫は最高で「大佐」の階級にまでなれるようです。
するとさしずめ、クルシャ君は「准尉」くらいでしょうか。
「特務曹長」ともいいますね。士官学校出てないので、気楽だけど将来不安だぞ。




さて

京都市内の変化の激しい街並みの中で、まだなんとか残っている変化前の
姿を探して回っています。上の写真の長屋みたいなのは、下町に行くとまだ
ありますよね。







そしてこれ。
なぜなのかよく知りませんが、必ず植木の鉢が列をなして並んでいる。

しかもよく手入れしてある。なぜ道端に並べているのか。疑問しかない。







屋根のある路地を見ると悲しくなる。

飼主の場合、幼い頃に命がけでしがみついていたものと関連して記憶されて
いるからなんですね。
逃げ込むのも生き延びるのも、この低い暗い安物の空の下。








これね、見つけてしまったから写真にしたんですけど、何ですかね。

洒脱な動物のイラストに、目立つカリグラフィー。

狐らしき生き物の左側にいるのは、犬なんだろうか、狼なんだろうか。

謎だ。いや、右側が犬で、中に蛇がいて、左は犬なんだろうか、狼なんだろうか。

月に吠えてれば分かるんですけどね。







こういう建物の中の二階の広間に、いつかやってきたような覚えがあります。
夢で。

畳敷きで、湿っていて、中央が窪んでいる。歩くと床がたわむ。
鴨居の上に、写真が並んでいる。

いや、夢じゃないかも。






なんていうね。

古い記憶なんだか夢だか分からなくなっているあたりを往き来するのが楽しいのです。

このあたりは、まだ探せば日本のどこかにある活気。






長く連なっている二階建ての建物です。
このあたりは、北野天満宮の参道として随分栄えて、映画の撮影所や歓楽街が
あったと聞くのです。現に街の過去を記したプレートなどにそう書いてある。
できれば、歓楽街の跡とやらをなんとかして見つけ出したい、と思っています。








でも、あまり奥まで行くと、睨まれてしまいます。







そしてここにも忘れられたようにある地蔵堂。

青いんだよね。

飼主的には、青いのはモスクの屋根だけなんですが。






こちらは、もうすこし有名なメインストリートにあるところの名物看板。


名物になってしまうと残りやすいのです。そしてなぜか、あの寂寥感が感じられず
むしろ堂々として見える。


このシリーズ、まだ何度か続くと思います。



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今年もよく潜ります

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冒頭から、どうなっているのかよく分からない写真です。
クルシャ君がイスのカバーに潜り込んで遊んでいます。







クルシャ君は仔猫の時からよくバッグや敷物の下に潜り込む
遊びが大好きでした。あれからよく観察していると、どうも
潜って遊んでいるのも楽しいようですが、別の楽しみもある
ようなのです。


それは







鼻先でモノをこじ開けること。


ブタやハナグマやハクビシンなんかが、こういう鼻使いをしますよね。
クルシャ君、猫なんだけどな。








しっぽだけ残して、カバーに潜り込んでいます。

潜り込みだけで済めばいいのですが、クルシャ君の身に付けたこの鼻技はちょっと
危険です。食卓に蓋をして置いてある料理なんかを、鼻先でもって開けて、そのまま
顔を突っ込んで潜ろうとしたりします。








器用な手先を使ったイタズラより、強力です。なんといっても、体幹の力を
鼻先に込められるので、存外な力を発揮するのです。飼主の座っている座椅子
なんかを鼻先で回します。

そんな器用な鼻のクルシャ君、ぼんやりしてますが動画にしました。







2014年薄明かりのクルシャ君




いろんな技を身に付けたクルシャ君の技術の発展のの仕方が、とても
面白いのです。それがすべてイタズラに応用されていくので、飼主も日々
対策を考えていかなければなりません。そのうち、部屋のドアをどこでも
開けて回るようになるかもしれません。









この鼻もそんなに頑丈なつくりではないので、鼻芸ばかりやって傷めやしない
かと心配でもあります。








でも、日々の工夫を諦めない。







飼主はしっかり、君の工夫を見ていきますよ。







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食べる猫たち

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クルシャ君が食卓の上でしっぽを立てています。
上機嫌です。








彼は今、食べ物を物色しているのです。
特に魚関係のもののニオイを嗅いでみたり、舐めたりしています。


毎度、制止しているのですが、止めませんね。
止める理由がないからです。






子猫の時には、気になるモノを人の皿から何でも引っ張って持ち去って
いました。あの頃に比べると、そんなに被害は無いのですが、食卓のあらゆる
ものにクルシャ君の柔らかい毛が張り付いてしまいます。







食欲が過剰なわけではないのです。ただ、飼主が何を食べているのか
知りたい好奇心から、テーブルの上のモノを何でもチェックして回っている
ようです。








なので、そんなに指導することもできずににいます。
食べ物が何だか分かれば、クルシャ君も飼主から奪ったりしません。

このへんは、以前より上品になってきました。

そう、これでも上品になった方なのです。









アリアンはフードを待ちかねて、ケージにすりすりしています。







ランス君なんかは、最近フードだけが楽しみみたいです。


クルシャ君は毒味役、というか、飼主が食べる前に料理をひと舐めする役、です。






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夢で見たあの場所に行こう3

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こんばんは。このシリーズ3回目となりました。
今回は、ランス君の近所のあたりから、水上勉の名作の名残を探して
歩いてみたいと思います。飼主も最近知りましたよ。名残なんてほとんど
ないんですけどね。








こちら、正月あたり珍しく門が開いていたので、お参りしてみたお寺です。
いろいろと料金が明示してあって、安心してお参りできるんではないでしょうか。






そしてこちらは、寺のすぐ近くにある地蔵堂。
子供の肖像を絵馬のようにして、観音堂に奉納するという習慣がどこかに
あったようで、高木敏夫という早世の神話学の先生が「子供の肖像を奉納
したからといって、供犠に供えたことには成らないのである」とまっとうな
ことをおっしゃってました。それはそうだ。









見上げた屋根の半シルエット








このあたり、寺が多いみたいですね。そんなわけで、細かい道を説明するのに
「あの寺の脇の道を」なんて言うと、どの寺の脇の道なんだか分かりません。

往事は長い築地の塀であっただろうことが偲ばれます。









そしてまた地蔵堂。
新調された檻の中に入ってるみたいですね。
最近では熊野の野仏なんかが破壊されたり盗難されたりしてるみたいなので、
残念ですが路傍の地蔵も檻で守られなければなりません。

何の話だったかな。

そうそう。このあたりは以前たいへんな繁華街で、遊郭があったりしたそうな。






そしてそのかつて繁華であった場所の唯一といっていい名残がこちら。

これね、見ての通り、場末の寂れた映画館ですよ。
大事なのは、まだ現役で営業中ってところ。

確か入館料が500円くらいです。







飼主は入ってきても良かったのですが、なんだか重たいモノを担がされて出てくること
になりそうで(精神的に)、無理でした。大体、現場を見つけるとその目前で勇気が
萎えてしまうのは、ウルタ君と似てます。全力で追いつめて、とどめを差さない。

というより、ピンク映画になんか興味ねえや。







ピンクでいいのは遊郭の名残を見せる二階屋の壁だけです。

なでしこ色とでも言いましょうか。







近くから見上げてみます。

知っている人は知っている。一本刀土俵入りの最初の場面あたりで、帯紐に財布やら笄やら
巻き付けて酌婦が情けをくれる場面がちょうどこんな感じ。窓辺に姉さんが腰掛けてるわけです。


あ、この話は水上勉とは関係ありません。






ここで発見。地図にはもはや載っていない名称「五番町」。

「五番町」という地名は最早、正式には存在しません。

地図にでは無く、古い仁丹の琺瑯看板だとか消火器の表示に、探していた地名を
見つけることがあります。この消火器ボックスだって、塗り替えられる頃には町名が消されて
しまうのです。








今の街並みはこんな感じ。ほんの一、二軒が、かろうじて探し当てに来た人たちへの
目印となっている程度。


ところで、飼主は夢でここへ来たことがあったろうか。







いや、ないわ。ないない。


キタノ大天狗、知らないっすわー。


近くに寄って、看板をよく見てみます。





やいと、って分かりますかね。お灸のことですね。

小児虫 というのは「疳の虫」というやつでもありましょうか。
調べてみますと、民間の呪い師が「子供の指から虫が出たように見せる」詐術を
用いた暗示療法である、と書いてあります。指から虫なんか出ませんよね。


それにしても、よく残っていてくれた。こういうの飼主の大好物です。

間違い無く、「指からムシを出すために針を刺しに行くよ」と婆さんに強引に引っ張られて
袖を涙と鼻水とでぐしゃぐしゃにした子供たちが連れられてきたのでしょう。すると、キタノ大天狗
なんていうのは近隣の子供たちのトラウマの的だったはずで、こんなに長い間廃墟のままでいても
良いのだろうかと、被害者でもないのに義憤をすら覚えるのであります。


なぜ、早々に空き地にしてしまわなかったのか、と。
いや、よく残ってくれたと思いますけどね。







こちらは同じ通りにある、すっぽん料理の名店。

かつて繁華だったこの町の名残の一部でもありましょう。







そしてこちらにも、小さな地蔵堂がございます。

子供たちがたくさんいたのかな。
姉さんや兄さんたちが通りを往き来して、すっぽん食べたり、酒飲んだり映画見たり
してたのかな。たまに大声でみんなが振り向くと、婆さんが泣く子をキタノ大天狗に
引っ張っていってたのかな。







こういうのを残してくれているのも有難いですな。

もう今は廃業した和菓子屋の看板なのでしょう。羊羹の小豆色に錆びて
剥げた塗料の下に、かすかに見えるモノもあります。この町に遊びにやってきた
大人や若者たちがやがて帰る家を思い出して、この看板を見上げては土産を持って
戻ったのでしょう。

これが、今の五番町のほぼすべてです。

すべてが塵になる。







塵になる前に均される。








寺のブロック塀の脇の道。

こんな場所を知っています。
ここも、夢で見た場所に似ている。







見渡すと、こんな空き地が拡がっています。

古い町屋から材木を取り出してトラックに積まれているのを見ました。

炭のように黒くなり果てた軽そうな木材には、歯車が付いています。

機織りの機械の一部なのだろうと思われたのですが、二度と組み上げられることも
ないのでしょう。







こうした家並みの間の細い路地を、小さな身体で走り回っていたような気がします。








あと何度、このあたりに似た場所を訪れて








どこかで見たはずの、二度と撮れない写真を撮ることになるのか、まだ分かりません。









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突然美しくなるクルシャ君

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前回の記事の続きが少しあります。

飼主は、五番町を訪ねてからやや南に進みます。京都の街路の進行表示には
独特の慣例がありまして、ご存じの方も多いと思いますが、南に進むことを
「下ル」と言います。飼主はずっとかつての朱雀大路のあたりを下っております。








こういう脇道を見つけると、かなり得した気分です。経験と直観からして、こうした
細道には隠れた名店があったりします。夕方以降に通るとまた雰囲気も違うので見つけ
やすくなりそうです。この時はそんなに注意深く見てませんでした。

ただ、まだ知らない通りを見つけて通るだけでも高揚感があります。







どうも、秀吉の聚楽第もこのあたりにあったようです。








大極殿跡は、今は小さな公園になっています。周囲は住宅地。
案内板や石碑でもなければ素通りしてしまいそうです。


歩いてこのあたりを見て回ったのはおそらく初めてなので、端から見ると飼主も
妙な感じだったかもしれませんが、基本的に市内全域が観光地なので、そんなに
警戒されることはありません。かなり自由に見て回れます。


春になるとまた違うのかな、などと思いながら戻りますとクルシャ君がむっとして
いました。







留守にしていると、寂しいようです。

周囲の影を顔の周りに集めて、やや上目遣いで飼主のことを詰っているようです。






見守りクルシャ




それでも机の上で、作業している飼主の近くにはいてくれるので、寂しかった分を
それなりに埋め合わせようと思っているのかもしれません。このあたりはクルシャ君
のことなので、まだよく分かりませんが。








それで、昼間の散歩のこととか、これからの些細な予定などをクルシャ君に話して
いると、気分的に落ち着いてきたみたいで







いつものクルシャ君に戻りました。





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ミミズクですか。クルシャ君です。

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もうね、タイトル通り。


クルシャ君の写真がミミズクのように見えると、飼主はどうしても
ミミズクによく似ていたウルタ君のことを思い出してしまいます。


こうして在りし日のウルタ君を見ていると、存在感がありますね。








クルシャ君は、すでに目つきだけは大物なのですが。

この、身から溢れる小物感は隠せません。


もうひとつ、過去の記事から。


フェネックみたいだったクルシャ君です。いやー、かわいいわ。








あんなにも弱々しくて、ミミズクというよりフェネックだったクルシャ君も
なんとなく鳥っぽくなりました。とはいってもやはり









一番似ているのは、唐獅子ですよね。





居眠りクルシャ




その唐獅子が眠っているところを動画にしてみました。









横顔に近寄ると、鼻のカーブが終端で若干上向きに反っているのがわかるのですが。
この写真では分かりづらい。





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怖がりでも撫でられるのは好き

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午前中のクルシャ君です。

軽く御世話して、彼の権利要求(缶詰)を満たしてやってから
日々の労務に携わるのです。








とはいっても、朝はクルシャ君も不満がたまっている時間帯です。

飼主が寝ている時間、相手してもらえないから不満。
フードのおかわりがないから不満。
噛みつく手首がないから不満。






起きてしばらくは、これらのクルシャ君の不満を一編に満たしてあげないと
いけないので、手首噛まれながら遊んでフードをあげるという時間短縮技を
要求されます。









まだ、遊び足りない顔してますが、このへんで御世話を終わらせて
アリアンのところに遊びに行きます。








アリアン、アリアンの近所に美味しいカレー屋さんがあるらしいんだけど
飼主は、どこだかまだ分からないよ。










アリアンも分からないよね。

そうだ、以前ここに来たクルシャ君だけどね、たくさん遊んできたよ。









アリアンは遊ぶより、撫でられ方が好きでしたよね。






アリアンを触る




というわけで、なで回します。

目つきにおびえが無いので、安心しているのが分かります。
これでも、外で物音がしたりすると、急いで物陰に隠れます。








今日は伸びをするくらい穏やかみたいですね。









この背中のボリューム感がアリアン。







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またたびでころころなクルシャ君

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クルシャ君は毎晩必ず、いちご味の歯磨きジェルを舐めています。
去年の春頃から与えだしたところ、習慣になったようです。


毎晩0時前後に歯磨きジェルを要求してくるようになりました。







歯磨きジェルを与えても、満足してくれないとき、クルシャ君には
またたびが与えられる時があります。

すでに床でころころしてますが、クルシャ君はまたたびで興奮している
ところです。






またたびでごきげん猫





雑音が入ってますが、動画にしておきました。









またたびにに対する反応が素早くて、またすぐに醒めてしまいます。

たまに日本酒飲みすぎて、翌日残って辛い目に遭っている飼主には
ちょっと羨ましい酔い方です。








イレギュラーな動き方をするので、こういうときは大体ブレた写真に
なってしまいます。









またたびから醒めても、刺激されてしまった本能の火は消えずにいて、
こうやって飼主のことを狙ったりしています。









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