街を歩いていて、突然夕立。
しかも短時間の豪雨で、傘も効かないとき
雨宿りをします。
永井荷風の『墨東綺譚』でもって、東向島のあたり
のヒロインと主人公が出会うきっかけが雨宿りだったり
するんだが、そのあたりの仕掛けが陳腐だとか、いや
伝統的でいいんだとか、まったくもってどうでもいい
やりとりが昔の文芸誌に載っていてうんざりした記憶が
ございます。
御覧の通り、この日は大粒の雨に降られて逃げた先で
カレーを頂きました。
しっかり食べてしまったので、夕の食事といたしました。
祇園祭の準備など楽しみながら歩いておりますと、また
別の日の午後に夕立。
雨宿りの店で、今度は前回のことを反省して軽く
雨が過ぎたのに、つい長居をしてしまいました。
飼主、雨宿りを言い訳にして
外食しているのではありませんか
いやむしろ、そこを疑問視する君の姿勢こそが問題だ。
雨なんか最初からどうでもいい。どんな理由をつけるかだけが
むしろ問題なのです。何か粋な理由でもあれば、何にでも乗りますよ。
そんなクルシャ君も夕立前の暗い空の下から聞こえてくる
雨脚を感じているようです。
ねこじゃらしの柄を噛みしだく猫
以前の記事でねこじゃらしを換えたとかいう、ささいな
話をしておりました。こちらはクルシャ君が新しい方の
噛み心地を確かめている動画でございます。
右が古い方(使用期間約半年)で、左が新しい方。
同じ製品です。
毎日使っていると、このような違いが見えて参ります。
当日にして、既に新しい方が若干曲がっております。
水のソーテール10: 光の樹 オノズカ (うるたやBOOKS)クリエーター情報なしうるたや
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