外出して戻ると、猫はお出迎えしてくれます。
ある雑誌の記事では「家人が戻ったときの外の匂いを嗅ぎたいから寄ってくるだけ」
などという、むくつけき説明がしてありましたが、一部の動機を引いてすべてを
説明しようとする詐欺的解説なんてものが未だにメディアに堂々と掲載されている
ことに唖然としますね。
妙な相対主義や配慮が自由と正しさの範囲をこの国を歪めてきたことが
よく分かります。
現実を説明できる言葉を持たないというのは、この現実に参加する
資格も無いと表明しているのと撰ぶところがない。
単純化というのは諧謔の修辞法の一種で古代からありますね。
有名なのは「人間とはそれまで食ってきたものの総体である」というやつです。
これが冗談として通じない連中というのが実在しているから恐ろしい。
常に冗談で右往左往しているものだから、冗談しか行動の起因とならない。
そして、何処へ出しても恥ずかしくないニセモノが出来上がる。
いずれ現実から呼ばれることがあっても返事の仕方も知らないし、そもそも
呼ばれているという認識も出来ないので、埋もれるしか無いのですが、リアル
では埋もれるどころか特に騒がしいので面倒くさいことこの上ない。
というわけで、クルシャ君に愚痴りながら、帰宅時のクルシャ君のお出迎え
の様子など動画にいたしました。
帰宅時に歓迎する猫
飼主の起床時にもこうして歓迎してくれます。
忙しくても、クルシャ君の気の済むまでこうして相手をするのです。
最近は、お見送りもしてくれるようになりました。
水のソーテール2: 歌うメムノン (うるたやBOOKS)クリエーター情報なしうるたや
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