京都市内というのは案外こぢんまりとしているので、歩く覚悟を
していれば大抵の所へは日中に行けてしまいます。
そうやってよく歩くのも、歩いて用が足せる都市を先人が構想して
実現したに違いないと実感できるからかもしれませんよね。
それなりに狭くてある程度イベントも頻繁にあるので、とにかく歩く。
そうやって市内のあちこちに出るわけですが、立ち寄るのは同じ店。
同じような時間帯に同じような期待をして、同じ店に行くのです。
すると、以前からするとわずかな違いがあって、その違いがまた好感持てたりする。
同じ店に寄るわけですから、注文するのも同じ料理なんであります。
なぜ違う料理を選ぶ必要があるのか。最高の物を同じように出してくれる
というのに。
夜になって歩くのにも疲れた頃、また別にあるいつもの店に寄るわけです。
そこは誰でもたどり着ける場所にあるというのに、まるで隔絶され、
もしくは何重にも守られた奥処にあって、呪文でも唱えないと扉が
開かないようなマヨイガ()にある店に入ったような気分にもなれたり
するところ。
今年の初め頃、思い立ったものの、行くのを大いに戸惑った経験がありますね。
外歩きを楽しんだ後、暗い道の奥に辿り着いてやや夜寒だったのに薄着
で小雨にも降られていたので、温かいおでんにありつけて有難かったことよ。
このように、狭い市内なりに異処迷処楽処をこぢんまり愉しめてしまうので
ありました。
水のソーテール8: 蛇女エデムとナイフ頭のタウィスカロン (うるたやBOOKS)クリエーター情報なしうるたや
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