こちら、近場の辻子(ずし)でございます。
この数年で、かなり綺麗になりました。
辻子とは、京都の街中にある狭い抜け道のようなものですが、
その道にも種類がございまして、簡単なご案内で足りますので
こちらなど、ご参照ください。
辻子式目なんてものがありました。
こんなことになっております。
安心できますね。
辻子を抜けてから、そのままのこのこ歩き、五条の橋までやってきました。
慶長の頃、初めて東海道を整備した際の基点は五条大橋だったそうです。
日本の扇の発祥地なので、こんなものもあります。
この石碑は斜めから見ないと、平滑に見えてしまいます。
陰が出るような確度を決めて写真にしてみました。
しっかり扇面の形状をして居るのが分かります。
散歩の様子を見せているのだが、クルシャ君、箱に入っていないで
写真を見て下さい。
これ。
かつての五条の橋桁だったらしい石材が無造作に置かれているのだが
よく見て下さい。そこには、天正拾二なんて文字が掘ってある。
1584年だよ。
信長の頃ですか?
残念。本能寺の二年後だ。
驚くよね。本物だよ。
文字の古拙な感じが天正期の味だよね。
他に無いんですか?信長の頃のやつ
信長が好きなんだね。
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