毎度ミニマムな話題のみを載せ続けている当ブログであります。
今回の話題などは、まさにその代表で、口開けて待っていたら
飛び込んできたネタをこうして出すだけ、などという実に安易な
方法で、楽しすぎなので、今後は控えようかと思うほどであります。

去年辺りから、『京都市民しんぶん』が、なんか曲がってることに
つきましては、何度かご紹介してきたところです。

同じ話題では同じ設定のキャラクターを使う方針のように観察しております。
古民家再生事業については、某有名ボクシング漫画のキャラを使い、ゴミ問題
に関しては、なんとも言いがたい妖精と称する兄さんたちのキャラを使うようです。

今回は、橋の更新に関する話題なので、橋に関してだけこの設定でいくのか、それとも
インフラ関係については、この手の特撮ヒーロージャンルのカテゴリーで毎回新しい
のが出てくるのか、分かりません。そりゃ、ハシワタスンヤー(関西弁)だったら橋の記事
にか使えへんわな。

これなんか、わざとなんだろうな。
変身とかするんじゃなくて、どっかの兄さんが変装して出てくるのが
前提になってるのね。

なんと言いましても、当地は国土強靭化に関する内閣官房参与である藤井聡教授の
根拠地であるから、市議会でもこんなことが議題になるのかも知れんなどと余計な
見方をしたりしておりますよ。

予定的な危機を克服しても、なんだかまだ続きそうだぞという余韻をまた予定的に
残しつつ、なんだか分かったような、インパクトが凄いので何も頭に入ってない
ような気分のままで終わるのです。
しかし
当紙のテイストだけがなんか曲がってるのではない、という
ことを、頁を細かく見ていると知ることになります。違うのです。
メディアが面白いんじゃない。市政に関わっている表現関係の方針そのものが
こんな感じになってるんですよね。その証拠を同紙の小さな記事に発見。

これだ。
こんなやついたんや。
どうすんの、これ。


