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京都高瀬川七条以南

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京都市内を流れている高瀬川は物資運盤用の水路として、戦国期に
開削されたようです。海路で大阪に着いた資材を、川沿いに伏見まで
上げて、さらにそこから高瀬川に接続して市内に輸送していたらしい。

方広寺
という寺が丁度、東山七条あたりにございます。







例の大阪の陣に関して、家康による難癖で有名になった鐘のある寺ですが、
どうもこの寺の資材が高瀬川経由で
盛んに運搬されていたようです。
地震で大仏殿が倒壊したものと思っておりましたが、崩れたのはなんと
漆喰造の大仏だった、と上の
リンク先ページに書いてあります。






奈良の大仏より大きな盧舎那仏が、かつて方広寺にあった、とは存じて
おりましたが、漆喰だったんですか。
地震がなくても自壊するよな。

なお、その方広寺大仏殿建立の歳に、「日本一の大木」が必要とされた
らしく、1586(天正14)年に屋久島最大の杉が切り倒されました。
今も残る、ウィルソン株がそれです。最大の屋久杉の用途は大阪城に
用いられた、と説明しているところもあります。





ということは、あのウィルソン株を屋久島から船で運び、さらに高瀬舟に乗せて、
このあたりで降ろしたということになるんですかね。製材されていたにしても
大仕事でしたな。

古代ローマのマサダ砦攻略でも分かるように、陸軍の仕事の見せ場といえば、
かつては兵站確保と攻略のための土木工事だったのです。古くはアレクサンドロス3世
が山上の要塞を攻略するために道造ったり、洋上都市落とすのに海を埋めたりしてます。


今はその、軍略家秀吉による京師改修の痕跡を尋ねて、風情を見て回ってる
わけですが、なんだか殺伐とした光景しか無い。






フェンスと空き地と集合住宅に、こんな標語看板ばかり目立ちます。







さらに、店舗の痕跡はあるが、営業している店が少ない。







コンビニに至っては、この地域を網羅していないものの、高瀬川沿いには
一軒も見ておりません。








人通りも少なく、たまに散策中の外国人観光客とすれ違います。
地元の優しげな小母さんが猫と話していたのには安堵いたしましたが、
この地域の殺伐さといったらない。








看板の標語の小学生たちに、ずっと小言を言われ続けているのもなんだか
尋常で無い気分になります。

このあたりの近年の政治的背景につきましては、その特殊な事情が「崇仁地区」
というワードでお調べ頂ければ、直ちにご理解されることでしょう。








飼主も初めて立ち入ったものだから、「崇神」だと思っていたところ
「崇仁」であったことを、この時に知ったくらいであります。














螢火白楊東寺 真生,明鹿 人丸うるたや


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