マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)は死ぬ前の三ヶ月間、バビロンで
ヘタイロイの側近たちと一緒に、ほぼ毎晩酒を飲みながら神の真似事をしたり、
ネアルコス艦隊が発見したアラビア半島への遠征計画を話し合って過ごしていた
というのだが、帰る寝床は人の幅を超えず、見つめる杯の内は掌に収まるほど。
世界に出て立ち回りながら命のやり取りを続けていなければ落ち着かないというのも
不幸な話だな、とディオゲネスにかつて揶揄られたことの意味を最後まで理解すること
はなかったわけだ。そこまで異常で無ければあの大業もまた、ない。
大多数の生き物というのは、それこそ手の内に収まるほどの場所に絵を描いて
宇宙を温めるものなんだよ、クルシャ君。
こんな感じだ。
地球上の全地表と樽の内側は同じ、と言うとなんだか負け惜しみのように
聞こえるから言い方を変えよう。国盗ってきて家で飲むお茶と、一日田んぼに
出てから家で飲むお茶は同じ。行を行ずる。般若波羅蜜多ってそういうことだな。
ところでクルシャ君は、そんなこと聞かなくても道を行じているように見えますね。
余計なこと思わずに、自らが原因となるような苦しみを招かない。
飼主の隣に居て、同じ器を覗き込んでいる、かのように(als ob)見えるところが
猫の徳というやつだな。
ここから壺中天の話に持っていくと、単なる目くらましになって
しまうので止すとしましょう。
水のソーテール6: 臍行者 オンパロ・プシシック (うるたやBOOKS)東寺 真生,明鹿 人丸うるたや
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