あの日、ウルタ君が去って四年。
飼主はウルタ君とのことを、何か愛玩物であるかのように自分の良いような
記憶として勝手に切り貼りし関係を押しつけるようなありきたりの自堕落で
凡庸な哀惜に落とすことだけは避けて参りました。世間には亡くなった者の
存在さえ、過ぎれば己の良いように道具にするばかりか、思い出をまるで自分
を称揚する道具のようにしか使えない人間が現にいるという事実を飼主は観察
して、ああもみっともないことはすまいと日頃から思っていたものの、益々
本来の方針を明確にし、実戦する為の反照と見做すことができたのでした。
ウルタ君はその本性に於いて不可侵な根拠を固有に所持していて、解釈も
関係の強要も許さないので、飼主はウルタ器のエピソードについては別にして
不可侵の部分をしっかり称揚し、ずっと一緒にいるという基本を展開しながら
向かい合っていくことにしています。
そのため、天使の宮の前で新たにうるたやを営むことにしました。
高い場所に座って空を見上げているウルタ君の姿をいつも見ながら、これからも
過ごして参ります。
水のソーテール1: 洗礼の天人 (うるたやBOOKS)東寺 真生,明鹿 人丸うるたや
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