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Channel: クルシャの天地
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とても短い猫の整合的シークエンス

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意識をそのまま記述しようという試みはウィリアム・ジェイムスあたりから
始まっていて、19世紀の論文でも今読んでさえ有用なことが示唆されています。
ただし、昔の言葉遣いなので慣れるのに時間が要ります。
何が言いたいかと言いますと、ヒトでもなかなか計測できない課題というのが
ありまして、その課題を最初に提示したのがストリームオブコンシャスネスとか
あのへんなんですよね、というお話。






その課題とは、いったいひとつのテーマを追い続ける意識はどれくらい持続するのか、
という問いとその解答手段なんであります。19世紀から意識というのはなんだかスクリーン
や舞台のようなものだと思われていたので、こんな問いが生まれやすかったというのも
ありますが、飼主はクルシャ君の様子を見ていて、久しぶりにそんな問題があったな
と思い出しました。







意識の持続を記述するには、自分の意識の外に観察者というか、アルキメデスの点を
置かないといけないので、欺瞞が発生しやすいのです。ただし、特異的な観察者が他人
である場合は別。
意識といっても、突然影が差してきたり、別の疑問が湧いてきたり、細部が極端に拡大
したり、気分や音楽に飲まれたり、感覚に依存したり、ブラックアウトしたり、観念連合
の波に泳いだり、些細な過去の記憶を整理し続けたり、ありとあらゆる雑音みたいなのが
消えたり現れたりするものですが、そこに純然たるテーマだけを貫いて意識がそれ自体で
どれくらい持続するのか、基本的な問いなのです。

この意識のモデル自体19世紀のものを借りてきているのですが、随分劇場に似ている
のが分かりますね。









その古典的な問いにアプローチするための素材が、こちら。









クルシャ君、眠っているところ悪いが、協力してもらいますよ。


クルシャ君はおもちゃの紐で遊び足りないと思っています。
もうすこし遊びたいので、このテーマが意識の大半を占領しています。



この意識の劇場の登場要素は

クルシャ君(遊びたい)
紐(おもちゃ)
カメラ(撮影者、遊ばせるヒト)
隣の部屋のヒト(代替要因)

この限られた要素でクルシャ君のテーマについての集中がかなり続いて
いることが分かります。

では、動画をどうぞ。


紐にじゃれてみた後で、人にじゃらしを要求する猫



シークエンスはこうです

紐で遊びたい
手を出して遊んでみる
楽しくない
カメラの撮影者に対して遊ぶように訴える
反応が無い
紐で遊ぶことを諦められない
隣部屋のヒトに訴える
返事があるが、意志が伝わらない

このシークエンスの間、クルシャ君のテーマは変化していませんよね。
動画で見ているとクルシャ君の心を何が去来しているか、よく分かります。






単にしつこいだけ、とかコミュニケーションに問題があるとか、ばっさり切って
しまいがちですが、胃頭脳明晰な皆さんにはこんな試みを手掛かりにして、猫の
ことも意識のことも気にするきっかけにでもして頂きたいものであります。





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