2011年の今日、ウルタ君が何か忘れ物を取りに戻るようにして
飼主の世界から去って行きました。
まだたった6歳でした。寝顔には若さが残っていて、これから賢い
中年の猫になっていく途中で、彼の成長を楽しみにしていたところでした。
表情も複雑になってきて、明らかに普通の猫とは違ったキャラクターを
彼なりに表現し始めていたところだったのです。
日本の文化的な土壌では愛について敢えて触れないことが礼儀か美徳の
ようになっているようですが、飼主は愛に相応しい者になりたいので、
ウルタ君を愛することにおいて、決して躊躇も尻込みもせず、愛し足りなかった
のではないかと後悔することだけを恥とするように意識して彼と向き合いました。
ウルタ君が奪われたとか、去って行ったとは今でも思っていません。
彼はずっと一緒です。
ただ、ウルタ君が忘れ物を取りに行くように出て行ったので、戻ってくれるか
さもなくば飼主が彼の所に行かなければならないと、自分を追いつめたのは仕方ない
ことだったと今では思っています。
でも大丈夫。以前のように感じられないだけで、ウルタ君は一緒。
空と飼主をこうして見つめるのが大好きだったウルタ君は、飼主が幸せである
ことを楽しんでくれています。
この特別に大きな眼で、見つめ続けることを止めません。
ウルタ君と過ごした時間が特別だったことも、彼がずっと一緒であることが特別なのも
不変です。ウルタ君にはそれだけの価値があった。
もし、誰かが倒れそうなら、飼主は大丈夫と強く言って守ることが、今はできます。
一緒に不安になって震えたりする役目は、飼主のものではもうないのです。
役目を変えられたのは、ウルタ君のおかげ。
彼の視線が図書館の本より多くのことを伝えてくれます。
彼の存在が、不動の基盤を与えてくれます。
しかも、頑固にならず、大丈夫という言葉だって千通りにも使って自在に
誰かのその引き替えられない不安をしっかりと支えられるという確信が
あります。飼主が何かに変化していくこと。それがウルタ君の幸せでも
あるに違いないのです。
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