すっかり夏毛になりました。
これからは冬毛になっていくアリアンです。
ふわふわで、いいにおい。
こっそりふたりきりになって仲良しを楽しむには最高の猫。
でも、こわがりです。
そんなアリアンと過ごせる特別な時間を皆様にも感じて頂きたい。
アリアンの横顔と背中
立派な横顔になってきましたね。
あのね
そうなの
たのしいね
中身がほとんどないやりとりを、ずっといつまで続けていても楽しい関係。
飼主が高校時代に、隣の席の友達同士がなんだか仲良しになったとき、たわいない
話をいつまでもやっているらしい様子を見たのが、いわゆる恋仲のなかよしたちを
見た最初の体験でしたね。あいつら何が楽しくて相鎚打ち合っているのだ、とモテない
仲間同士でもってこの世の不思議を究明すべく議論していたものです。
こういう睦み話が大好きなのがアリアン。残念なことに、ランス君は睦み話できる
器量がありません。そういったわけで、主に飼主がアリアンと恋人同士のお話を
しに行っているわけです。
今は恋仲を不思議がるような野暮でもないし、睦み話を仕掛けてくる猫にだって
寛容になれます。肝腎の話の内容ですが、猫語なので人語に訳せません。ほぼ論理的
な話が皆無です。強いて言うならば、ここで撫でて、あんまり触ってばかりは嫌、とか
外の匂い嗅ぐと緊張するけど刺激的だわ、とかそんなことです。
秘密のお話だってあります。
その窓の外には、金鵄が羽根を広げている。
神武帝が初めて都を置いたという某所に話は飛ぶのです。
これ、多分遣隋使だか遣唐使だかですよね。
おそらくは遣隋使であって、飼主は奈良にやってきているのです。
夏の桜井市。
旧い町なのに、遅れた感じが逆に愛おしい。
できればもっと長いこと寂しいままであってもいい、とはたまに訪れる
飼主のような参拝客が勝手に思うことですよね。京都がどこにでもある
ような都市だったので、もっと観光に力入れていると思っていたのでがっかり、
なんていうのはよく聞きます。住人にとっては死活問題なので、観光客の為に
利便性を犠牲にはできないのです。だが、京都にしても特別に雅な一角があって
もいい、とは思います。もしあれば、飼主は入り浸ります。観光客なんかもう
寄せ付けないくらい入り浸ります。平安神宮の庭?造作物では不十分でしょう。
最低でも、使える寝殿造。釣殿、龍頭鷁首の船。伶人たちに舞台。毎日の歌会。
検討を御願いします。
あなたとめぐる大和路桜井
もっとひねれ、と。
言いながら、タクシーに乗せて頂きまして、夏の大神神社に参詣いたします。
三輪山全山が蝉によって鳴動しておりました。
タクシーで伺った話によりますと、この夏、急変した天候による落雷が火災を
惹起し、ヘリが夜間に出て三輪山上から消火活動を行っていたということです。
どこが燃えたのだろう。神社にはご神木がよくあって、雷の被害に遭っていますよね。
アースしたご神木だってあるくらいです。
ご神木の災難というと、数年前に鶴ヶ丘八幡の大銀杏が倒れたことが記憶に新しいのです。
あの公暁が隠れたという銀杏。有名ですよね。かつて何度も見ていた銀杏ともう会えないのか
と思うと、そぞろ寂しいものがございます。
大神神社の参道はやや上り坂です。飼主は毎回ここで道の脇ばかり見ています。
普段は上ばかり見ています。天狗が小石を投げてくるので、いつか見つけてやろう
と上を見るのですが、大神神社ではそんなことはありません。それで道の脇を見る。
すると、ごく稀に蛇を見つけることがある。大神神社で蛇を見つけますと、大騒ぎです。
しかも、いつ出てもおかしくないような環境ではある。なんとかして、いずれこの参道
で蛇を見つけたいものだと目を皿にして歩くのですが、一度も見つけたことはありません。
まあ、そのうち。見つけたら、動画にします。見た人は、宝くじ一等どころではないのです。
実際のところ加護があるか、運気が上がるかはもちろん気にしていません。みなさんは
ご存じの通りです。飼主は、単に大神神社の境内で蛇が見たいだけですよ。
大事な参拝はこっそり隠して、参道前にある素麺屋さんに寄ります。
松の昼間は影が暗く出過ぎるので、まるで夜中にフィルター通して明るく撮影
したように写ります。陰陽一体。
あめつちの開けぬ先の我なれば、生くるにもなし死ぬるにもなし 島津義弘
義弘公の辞世です。
猫ブログ的には、あのヤスのパパと呼ぶべきお方ですね。
さすが義弘公、忠良公のいろは歌を確実に消化して更に別天を開いておられる。
これくらいでないと、侍とは言えませんな、などといって神社帰りに酒を飲む、と。
幸せ。
実は、この数年来懸案であった難事がひとつ片付きまして、御礼とご報告を兼ねての
参拝だったのです。奈良と言えば柿の葉寿司。地酒にもいいものがあります。
義弘公の辞世は唐突に思われると思いますが、先の写真をもう一度御覧になって、陰陽と
天地の分離、いわゆる天地創造以前の原初の状態を想起しつつ、御覧頂ければ分かるように
なっておりますよ。いや、本日は気分がよろしいので、普段は出さないようなヒントまで
出してしまいましたよ。
そしてなぜか、素麺ではなく、天ぷら蕎麦を食べる。
関西には、滅多にかき揚げ蕎麦がない。というか、ほぼ見ない。いや、絶無に近い。
代わりに柿の葉寿司があったりはするのですが、かき揚げ蕎麦の聖地のような神保町
にいたものだから、いつでも困らずに食べられるかき揚げ蕎麦が、あの値を離れて
こんなに恋しいとは思いませんでした。
そんな飼主の嘆きを聞く京都人は、必ずこう言います。
「関西はうどん文化やから」。
うどん文化やから、何だってんだ?
店の前に置いてある、木彫りの狸に話しかけます。
「今更、覚えた、かき揚げ蕎麦の味を忘れて、うどん好きになれってんですか?」
夏雲が垂れ込めてきて、本格的に夕立でも来そうな暗い空になってきました。
かき揚げの新鮮な油が蕎麦と出汁に絡むあの感じ、うどんじゃ無理なんですよ、と
奈良で夕立の空に訴えても、誰も聞いてくれない。というか、どこまでも単なる
おかしな奴にしか見えていない。
おや、いつの間にか、かき揚げ蕎麦の話になってますね。
そうじゃない。今回は、いろいろとあってどうにか乗り越えさせて頂きましたよ、という
ご報告と御礼を兼ねて大神神社に参りました、というお話。ところで、京都でかき揚げ蕎麦
の美味しい店をネットで探しましたが、残念な結果しかない。水道橋「とんがらし」は伝説
なのか。
しまった、またかき揚げ蕎麦の話してる。
電車に乗って、猛烈に反省です。
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