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Channel: クルシャの天地
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千本鞍馬口界隈(夢で見たあの場所、の追加)

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前回の記事の探索のすこし後、休憩してからの様子です。
シリーズとしてはあちらの方がメインで、こちらは付録というか付け足しと
いうか、雑記録的な感じになります。

休憩のお供は和菓子の「みな月」。

夏の涼しげな和菓子は、歩き回った後の休憩に最適ですね。
抹茶風味の「みな月」にしました。あんこ大好きなクルシャ君のことを
ふと思い出して、また別の店に寄って和菓子でも買って帰ろうと思っていたところ







猫発見!


宮川美髪館の猫くんのように、入口に座って外を観察しています。
このお店の招き猫さんですね。
動画にしました。その動画の冒頭で、猫さんの様子が分かるように
寄ってみましたが、カメラの寄り方が、がさつだったようで。





美容室の猫



いきなりシャーッと怖がられました。

「そんなにがさつに寄ってこないで」ってことですよね。
飼主は招かれてなかったんだな。

美容室の女の子に、その後丁寧に無礼を詫びて去りました。
いや、あの子は女の子だと思います。







この建物も、外層に豆タイルが貼ってあって、なかなかおしゃれなのです。


驚かしてごめんね。







暑いので、近くの町家に寄って涼みます。
夏でも家の中を通り抜ける風は、外よりずっと涼しいのです。







典型的な町家の外観。
リノベーションされた新装の町家です。
こんな形で、一部の町家は再生して利用されています。







油、燃料用。








「おかしの館」

これこそ、前回のシリーズ向きだったのですが、その他のカテゴリーに移動。

夢で見る風景っていうのと、絵本的なファンタジー世界からのこの世への侵入、っていうのは
截然と区別していますよ飼主は。それにしても、放置されたファンタジー演出の名残っていう
のも、なかなかぐっとくるものがありますが。







とにかく、普段は歩かない通りをこうしてうろついておりますと、さすがは京都なので
価値ある歴史の一部に出会うことがあります。こちらで出会いましたのは、なんと
池大雅の墓所。



『近世畸人伝』で夙に有名な、あの池大雅先生の墓所がこんなところに。
近世畸人伝『続』の方だったかな。

ゆるキャラ、かわいい、文化の元祖みたいな人っていうと誤解されますかね。
池大雅先生ご自身もなかなか愛された人なのです。








さっそく寺に入る。池大雅しか目に入ってないので、寺の名前は未確認でした。

「なかよし地蔵」

こういうのがモノの分かった人たちの優しさなんですよね。
夫唱婦随で有名な池大雅のエピソードから、こういうのを作ったんですね。間違い無い。うんうん。




おや



まてよ、と。



前回の記事からずっと「ツインな像」が続いてますよね。これで三回目。

ということは


そうだ、間違い無い。すべての発端はこの「なかよし地蔵」に違いないのです。何代目だか
知りませんが、この寺は池大雅を愛する人たちの着想でもって「なかよし地蔵」を作っていて
この限られた地域では「ツインの像」がいわば、デフォルトなわけです。だから、道端の
地蔵尊もツイン、七福神のセットの一部だってツイン。いつもいっしょ。飼主とクルシャ君。
この散歩は、ツインのなかよし地蔵と池大雅先生の見えないガイドによって案内されていた
ということでしょうか。いや偶然です、すべては偶然だったのです(金田一風)。

それにしても
なんと優しい、いい街なんだろう。








ここから池大雅の墓所の入口。

実を言うと、ツインの地蔵の謎は、今こうしてこのとき撮った写真を見ながら
解けてきたところなのです。飼主は間違った解き方をしているかもしれません。
もしそうならば、正しい答えをどうか教えて下さい。喜んで受け入れます。
いずれにしても、特異的にツインの地蔵が表象として目立った形で見られる
文化を持った街であることは、散歩してみても分かることですよね。
夢を見つけに行く散歩者にしか見えてこないものだってあるのです。

こういうのが楽しいのです。



とにかく、飼主も大好きな池大雅なので、墓参しますよ。
マニアは、有名人の墓参りのことを「掃苔」(そうたい)と言います。











池大雅先生の掃苔


愛情と才能と気遣いでもって、長く後世にまで知られて、愛される池大雅先生の
近くにいられる幸せ。飼主もかくありたい。







町家の軒を見つけて、撮影。








土壁が経年でもって、いい感じ。


表面に浮かび上がってきたこのパターンは、造形とも描画とも言わないのですが
美的な印象がありますよね。現象としては美的なんだが、自然美っていうのは美学の
範疇を超えています。









70年代のごっちゃりした、人間疎外の空気ふんふんな機能住宅。
こんな建築物でも、時を経ると濃密だったであろう人の出入りが、苦しみや喜びを
折り込んだ分だけ、建物に何だか呼吸みたいなものを与えていくから妙なもんです。
そして、後の世の人はこの呼吸しか見ない。でも、当時の人たちは機能しか気にしない。
飼主、今とても重要な指摘をしましたよ。







この今出川通り北側の地域の人々の気持ちが穏やかで優しくて、適度に自己主張している
ことが大変気に入った飼主は、普段なら無視するようなものにまで、気を遣う余裕が出てきま
した。

それで、軒下にあるなんだかオブジェめいたものでも写真にしてきました。










敢えて誰も注目しないであろう部分を写真にしました。

瓦、流木、簾。

一言で言うと、「枯淡」。

というより、この軒下ののオブジェのテーマはずばり「枯淡」なのですよ。








放置されすぎて、ほとんど諸行無常。

だが、このアイテムの作る箱庭的なマンダラの志向するところは「枯淡」。
みんなが無視して通り過ぎても、立ち止まるのが楽しい。
そして時々、こじつけた意味過多な文脈に溺れて反省する、と。

最近は空回りもなくなってきましたよ。






この散歩の終わりはペットショップ。











ゴールデンレトリーバーの賢そうな女の子とケース越しに挨拶して、早く
いいお家が見つかるように祈ってきました。










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