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Channel: クルシャの天地
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夢で見たあの場所に行こう5

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「夢で見たあの場所」

あの場所、とはどこか分からない場所です。おそらくどこにもない場所なのですが
たまに連れて行かれるので、印象だけ残っている場所。それは夢で出かける場所
だから、地上のどこでもないわけです。広くて、明るく、見通しの良い、威圧的な
感じのする場所であったり、暗くて狭くて猥雑で人の気配の絶えない場所であった
りします。


それは人の夢の中に織り込まれている普遍的な街並で、かつてあったかもしれないし、
将来に見られるかも知れないが、現実である必要はなく、可能な状態で半現実のまま
ストックされている。その姿を現実にすると、懐かしく思えたり、寒々しくかじかんだ
印象になる。初めて出かけた街で、そんな印象を得るのは、誰もが夢で出かける「そこ」
の半現実を、現在の印象が喚起しているからだ。








このシリーズの前回は、14年4月2日でした。

今回は、上京区千本鞍馬口から、乾隆小学校周辺の街並みを見ていきますよ。
なかなか一般のメディアでは紹介されない区域です。特にこれといって話題も
ないから、というのがそのへんの理由です。しかし、写真に残しておく価値の
ある場所がたくさんありましたよ。













まず、バスから降りたあたりの、比較的大きな通り。

大通りから一本入ったときに、街の深さが分かります。

そのへんはさすが京都なわけで、今でも充分な懐を保持しています。でも、いまのうちだけ
かもしれない。いずれ、この街の深さだって、どこにでもある平べったい景観にとって代わ
られるかもしれないわけです。

だからこそ、夢に会いに行く価値があるのです。わくわくしてください。

とりあえず、トドクックにわくわく。
なんですかね、ハバクックの仲間ですかね。
神に向かうための試練です。受け入れなさい。








弁柄色の連子格子。

弁柄の顔料は酸化鉄です。
『尿する 裸僧』で有名な村山槐多が大好きだった色ですよね。
別名「血赤」。人間の血液の赤いのも鉄分ですからね。
本能的な部分にガツンとくる色なんですが、京都では慣れた感じに品ある風情にまで
醇化されてます。癖の強いのを敢えて使いこなして手の内にしていく。こういう工夫
と共存が無くなったら、この街が京都でなくなるんだろうな。








カメラがやや萎縮しているのが、撮り方でもって分かると思います。
なんだかデモーニッシュなものを感じて、この対象に肉薄できませんでした、飼主でさえ。


よくある街角のお地蔵さんなんですけどね。よく見るとちょっと違う。

そう、ツインなんですね。地蔵ツイン。
道祖神と混ざっているのかどうか、あるいはツインな地蔵尊像の作例が他にあるのか
そのへんはよく分からないのですが、珍しい尊像。









さて、この辺から一本入りましたよ。すでににもう夢の景色っぽくなって参りました。









街並みはそのままで、しっかりと健全な代謝が進んでいる路地。
外に面している立て替えられたらしい家の外壁や生活を示す設備、車両なんてものが
この街並みの今の充実感で輝いています。まだここでも今現在の夢が引き続いているのが
わかります。








かと思うと、こういのがある。

かなり色あせてますが、この家の壁も弁柄色。
そしてこの土像、寿老人なのかな。
前に居るのは翁と媼かな。  いや、違う。

このツインの向かって左は小槌を持っているから、大黒様ですよね。
右側の東洋人離れした長頭の持ち主は、おそらく福禄寿なんだろう。

ということは、いずれ彼等は「七福神土像セット」の一部で、中心に寿老人が
いて、あと二セットのツインズが揃っていたはずなんです(金田一風推理)。

どこへ行ったんでしょうね。









毎回このシリーズで出てくるお馴染みの光景。

すっかりお馴染みになりました。すでに五回目にして何度見てきたことか。
はい、軒先に並んでいるよく分からない鉢類の羅列、であります。







そしてこちらの軒下にも、見事に隙無く並んでおりますね。

それよりも、御覧頂きたいのは、この道です。わずかな傾斜があって奥に隠れるように曲がる
路地への小道。道なりに住宅があって、低い視線からは招き入れる腕のように見えるアプローチ。

小さな空を見ながら、何度も繰り返しこのタイプの道を夢で見てきたような気がします。








この軒が見せる直線は、なぜか知らない誰かとのつながりをいつも呼びかけます。
見ているのは建物の構成で、街並みで、道だというのに、どこかの誰か多分近所の
知り合いか何かの今の姿が気になって、うなぎでも買って訪ねに行こうかとか、
借りた玩具返しに行こうかとか、そんな関係なんかどこにもないというのに仮の関係
が引き出されていきます。それが、多分、夢で見た街の特徴。








立て替えが進んで、街並みが一新しても、それは同じ事。
生きている街があれば、必ず夢の街に近付いていくのです。








離れたところに、取り残されたような建物があっても、親しげな何かが残っています。








この写真などは、あざとい部類になりますね。
まさに、狙って切り取った景色。

苔の掛かった黒く変色したブロック塀越しのミラーと電柱。
こればかりは、あまりにもこの国の人の記憶に広く染みついているので、誘導しやすい
シンボルになっています。こういう分かり易いのを敢えて排除ながら、あえかな夢のトポス
を探るのが、なにより楽しいのです。いずれ分かります。だんだん楽しくなってくるから。








こり路地がくれるわくわくは、一言に尽きます。

「この奥、抜けられるの?」

多分、行き止まり。でも、確かめてみたい。

そうですね、三個所に一個所くらい、行き止まりに見えていながら、横に抜ける
道が見つかることがあります。









この道が整備された当初からの景観を残している路地。

飼主は想像します。夏の夕方、薄暗くなった道に縁台を出して涼みながら
過ごす時間。真夜中過ぎに、こっそり起き出して満開の月下美人を見てまた
眠りながら月下美人の夢を見る。








これ、たぶんネタだと思うんで写真にしておきました。

仕掛けられたものは拾っておく。

礼儀みたいなもんです。









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