クルシャ君、今夜は隣のバーでお話しよう。
飼主も尊敬するところの貝原益軒がですね、『大和本草』っていう百科事典みたいな
本の中で、「猫の性質は残忍であるが、よその子猫でも養って育てる性質もあって
仁である」といったことを書いておりますよ。残忍というのは、狩りをするというこ
となわけで、他所の子を養うことについては哺乳類一般でよくありますよね。
益軒は儒学者なので、動物の質を儒学の情で分類するんですよね。
飼主はとにかく、クルシャ君には特別な猫になってもらいたいので、特別な猫が
何なのかという話を毎回しているわけです。
まず、意味や価値を自然に自分から生成できるようにすること。これが特別な猫
の具体的な特徴ですよ。世界を変える猫はすべて皆、自らの認識と判定によって
意味と価値とを生成します。当たり前なことではないのです。訓練してやっと身に
つけることができる在り方なのです。飼主は彼等が不動であることによって影響を
行使することから、彼等のことを「支点猫」と呼びます。
「支点猫」同士は互いの違った見方や在り方を尊重します。
干渉し合う余地は無いのです。シーズンになって、縄張りからボス猫が彷徨って
女の子を探しまわるように移動しません。
「支点猫」が重要視するのは、手続きをきちんと踏んでいること、自分が支点で
あることを証明するために、自分の価値をどう適用すれば良いかについての実用的
な知識をしっかり身に付けていること、に他なりません。つまり、ちゃんとした「支点猫」
からしたら、ニセモノの「支点猫」などあり得ないのです。すぐにバレてしまうことでしょう。
にもかかわらず、自分もひとりの「支点猫」だと宣伝するいいかげんな猫が次々に出てくる
ものなのです。
なぜそんないいかげんな猫たちが出てくるのでしょうか?
クルシャ君、いいかげんな猫たちは従前の「支点猫」の存在を信じていません。
そんなものいない、と思っているから「自分こそが支点猫だ」と主張するわけ
です。そして、いいかげんな猫が目指しているのは、同じくいいかげんな猫たち
とりわけ「標語猫」と呼ばれる種類の、沫のような連中に影響することなわけです。
「標語猫」は「支点猫」に変化することがあります。というよりも、大抵の「支点猫」
は、「標語猫」が変化したものです。
クルシャ君は最初から「支点猫」になってもらいたい。「標語猫」というのはその名の
通り、天気に合わせるように移り変わる標語を掲げて上下左右に傾き続ける猫のことで
自ら価値と意味を生成する「支点猫」の正反対であることが分かるでしょう。彼等は常に
矛盾と文脈を乗り換えて大移動を繰り返します。動き続けること、中身を持たないこと
自体が彼等の本質なわけです。その評価において泡のようなのではなく、在り方そのもの
が沫なわけです。
本当に動かない「支点」があったなら、奇跡を起こせるはずです。アレクサンドリア
という古い町にいた人がそう語ってます。同じ「支点猫」でも揺るぎ方があるのです。
ぐらつく「支点猫」だっているし、地球を動かせるほどの不動力を持った「支点猫」だ
っているかもしれません。では、「標語猫」は何をするのでしょうか。
梃子に化けたり、押したりする、ことがあります。しかし、大抵は浮遊しています。
強い標語が発生したときに「標語猫」たちがまとまって、梃子を動かすことがあります。
つまり、「標語猫」こそが世界の原動力だとも言えるのです。ところが、彼等が天から
与えられたと思うところの「標語」自体は、「支点猫」のみが与えられる物なわけです。
このさい、どちらが世界の主人公なのだか、どうでもいいことです。
新しい世界の到来とこの世界の維持とに「支点猫」も「標語猫」も必要です。
もちろん、自分が「支点猫」だと主張している「標語猫」でさえ。
大体は、この関係がうまく回るようにできているのですが、そうではない不幸な
組み合わせがよく発生します。
不幸の原因は、成果と能力の付け替えが可能であると考えること。自分の評価を
間違えてしまうこと、によって発生します。「支点猫」が何を重要視していたか、
思い出して下さい。この最も大事なことを知らずに、自分が「支点猫」と同じ事
ができると考えてしまう「標語猫」がよく発生します。
結果を同じにしたいと思う余りに、脈絡を踏まずに危険な道具を振り回すため、
そういう猫は自分を含めた周囲に必ず災いを及ぼします。
クルシャ君は、そんなのを見抜いたら、近寄ってはいけませんよ。
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