こんばんは。このシリーズ3回目となりました。
今回は、ランス君の近所のあたりから、水上勉の名作の名残を探して
歩いてみたいと思います。飼主も最近知りましたよ。名残なんてほとんど
ないんですけどね。
こちら、正月あたり珍しく門が開いていたので、お参りしてみたお寺です。
いろいろと料金が明示してあって、安心してお参りできるんではないでしょうか。
そしてこちらは、寺のすぐ近くにある地蔵堂。
子供の肖像を絵馬のようにして、観音堂に奉納するという習慣がどこかに
あったようで、高木敏夫という早世の神話学の先生が「子供の肖像を奉納
したからといって、供犠に供えたことには成らないのである」とまっとうな
ことをおっしゃってました。それはそうだ。
見上げた屋根の半シルエット
このあたり、寺が多いみたいですね。そんなわけで、細かい道を説明するのに
「あの寺の脇の道を」なんて言うと、どの寺の脇の道なんだか分かりません。
往事は長い築地の塀であっただろうことが偲ばれます。
そしてまた地蔵堂。
新調された檻の中に入ってるみたいですね。
最近では熊野の野仏なんかが破壊されたり盗難されたりしてるみたいなので、
残念ですが路傍の地蔵も檻で守られなければなりません。
何の話だったかな。
そうそう。このあたりは以前たいへんな繁華街で、遊郭があったりしたそうな。
そしてそのかつて繁華であった場所の唯一といっていい名残がこちら。
これね、見ての通り、場末の寂れた映画館ですよ。
大事なのは、まだ現役で営業中ってところ。
確か入館料が500円くらいです。
飼主は入ってきても良かったのですが、なんだか重たいモノを担がされて出てくること
になりそうで(精神的に)、無理でした。大体、現場を見つけるとその目前で勇気が
萎えてしまうのは、ウルタ君と似てます。全力で追いつめて、とどめを差さない。
というより、ピンク映画になんか興味ねえや。
ピンクでいいのは遊郭の名残を見せる二階屋の壁だけです。
なでしこ色とでも言いましょうか。
近くから見上げてみます。
知っている人は知っている。一本刀土俵入りの最初の場面あたりで、帯紐に財布やら笄やら
巻き付けて酌婦が情けをくれる場面がちょうどこんな感じ。窓辺に姉さんが腰掛けてるわけです。
あ、この話は水上勉とは関係ありません。
ここで発見。地図にはもはや載っていない名称「五番町」。
「五番町」という地名は最早、正式には存在しません。
地図にでは無く、古い仁丹の琺瑯看板だとか消火器の表示に、探していた地名を
見つけることがあります。この消火器ボックスだって、塗り替えられる頃には町名が消されて
しまうのです。
今の街並みはこんな感じ。ほんの一、二軒が、かろうじて探し当てに来た人たちへの
目印となっている程度。
ところで、飼主は夢でここへ来たことがあったろうか。
いや、ないわ。ないない。
キタノ大天狗、知らないっすわー。
近くに寄って、看板をよく見てみます。
やいと、って分かりますかね。お灸のことですね。
小児虫 というのは「疳の虫」というやつでもありましょうか。
調べてみますと、民間の呪い師が「子供の指から虫が出たように見せる」詐術を
用いた暗示療法である、と書いてあります。指から虫なんか出ませんよね。
それにしても、よく残っていてくれた。こういうの飼主の大好物です。
間違い無く、「指からムシを出すために針を刺しに行くよ」と婆さんに強引に引っ張られて
袖を涙と鼻水とでぐしゃぐしゃにした子供たちが連れられてきたのでしょう。すると、キタノ大天狗
なんていうのは近隣の子供たちのトラウマの的だったはずで、こんなに長い間廃墟のままでいても
良いのだろうかと、被害者でもないのに義憤をすら覚えるのであります。
なぜ、早々に空き地にしてしまわなかったのか、と。
いや、よく残ってくれたと思いますけどね。
こちらは同じ通りにある、すっぽん料理の名店。
かつて繁華だったこの町の名残の一部でもありましょう。
そしてこちらにも、小さな地蔵堂がございます。
子供たちがたくさんいたのかな。
姉さんや兄さんたちが通りを往き来して、すっぽん食べたり、酒飲んだり映画見たり
してたのかな。たまに大声でみんなが振り向くと、婆さんが泣く子をキタノ大天狗に
引っ張っていってたのかな。
こういうのを残してくれているのも有難いですな。
もう今は廃業した和菓子屋の看板なのでしょう。羊羹の小豆色に錆びて
剥げた塗料の下に、かすかに見えるモノもあります。この町に遊びにやってきた
大人や若者たちがやがて帰る家を思い出して、この看板を見上げては土産を持って
戻ったのでしょう。
これが、今の五番町のほぼすべてです。
すべてが塵になる。
塵になる前に均される。
寺のブロック塀の脇の道。
こんな場所を知っています。
ここも、夢で見た場所に似ている。
見渡すと、こんな空き地が拡がっています。
古い町屋から材木を取り出してトラックに積まれているのを見ました。
炭のように黒くなり果てた軽そうな木材には、歯車が付いています。
機織りの機械の一部なのだろうと思われたのですが、二度と組み上げられることも
ないのでしょう。
こうした家並みの間の細い路地を、小さな身体で走り回っていたような気がします。
あと何度、このあたりに似た場所を訪れて
どこかで見たはずの、二度と撮れない写真を撮ることになるのか、まだ分かりません。
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