京都タワー地下へよく行っております。秘密基地、いや飲食店ブースが詰まっているからです。
人を写真に入れない為に、天井ばかり撮影しております。さて
Only People With Spiritual Gifts Experience These Strange Things
何十年も前に流行していた物語は何度も繰り返されます。七割方ユング思想である、この断片的な主張も、実はユングより更に前の世代の断片を含んでいます。
甲殻類や昆虫が脱皮するように、我々も自然に変容しますが変容が派手な場合や、生活を破壊するほど強烈な神秘体験を経る事があるのですが、そのために既成宗教がある、即ちこうした体験を各個に指導する役割を聖職者が果たすべきだったわけです。
『ウルタールのうる』に出てくる「ウルタール高教」も子猫たちが無自覚に起こす派手なリーピングやジャンプを自己制御する技術を伝授する組織だったわけです。
しかしながら、現代の既成宗教はヒトの変容期に対応する導き手として機能していない。
それ故に、神秘体験自体を目的としたり、変容期の精神的嵐からの復帰を目的とする断片的な言説がこのように流布されているわけですが、元来、そのようなものは人間の経るべき過程であって目的には成らないし、目的と為すべきではないのです。
巷間の無軌道な言説が余りに放埒なので、この際簡潔に要点だけ書き残しておきます。
神秘体験を経ることは、自然なことです。近くに指導者がいれば無料で、感謝も挨拶程度のことで済み、迷いの道の出口を示したり、先に進みたければ迷路の案内までするものです。
証拠をお見せしましょう。
Chaiye Hame Zarthosti
「チェイアム ゾロアスティ」
ガーサーにもヤシュトにも、神秘体験なんて当たり前のように出てくる。それらに迷ったり、悪夢に落ちたり、道から外れないように、あらゆる助言が繰り返されます。
そして教義にある通り、この曲それ自体も対等の悪によって穢されました。崇高な者は、同等の邪悪によって挑戦を受ける。崇高である者の運命として。歴史的事実であり、飼主の観察し得るところです。
20世紀、この曲は歌詞を変えられて、ヨーロッパ方面である期間「ハーケンクロイツを讃える歌」として流行しました。
そちらの方(ナチズムの賛歌)しか知らない方もあるかも知れないが、オリジナルはこちらです。
「あなた方が困ったときに、パールシーが現れる。」
パールシーの義務は、義を為し、善の王国を作ることであるから。
あなた方の中にいながら自律して溶けこみ、為すべき時には義を果たす。
神秘体験は、必要条件であり、パールシーの目的とは義を為すことであります。
目的ではないのです。
他人より高い次元にあるとか、自分は神に選ばれたなどと嘯くパールシーは一人もいない。当たり前のことだから。そんなことで他人の歓心を買おうとする者もいない。
We Are Zoroastrians - Lyric Video
英語にされて、歌詞の中身も違いますが、
まず義を為しなさい。
義を為さないならば、何者でもない。
どんなに「次元が高」かろうと、どんなに「前世が崇高な存在」であろうと、況してや現世で高名、高位、富貴であろうと。義を為さなければ、何者でも無い。
これがマツダヤスナの教えであります。