タイトルでほぼ言いたいことすべてを言い終わる記事。このスタイルは長年続けて来て、初めてですね我がブログ歴で。
説明しないのですか?
しなくていいでしょう。定数とか量子の振る舞いなんかでなんだかの意味論やら構造主義やらを乗り越えてみたりなんかしても、いろんな筋で意味の意味自体をなんとかするのは飼主が知る限り、文明に様式が生まれた頃からずっとやってますからね。今回は違う、そう言うんですよ当事者達は。しかも毎回言う。
写真は、問答を諦めたクルシャ君ではなくて、飼主の椅子の裏で涼んでいるクルシャ君。
布一枚の影の中でも十分涼しいようです。
ちなみに、上でなんとかすると置き換えているのは、好きな言葉で言い換えられるようにブランクにしてあるという配慮です。超越でも転換でも脱出でも読み替えでも、再起動だのブーストだのローンチだのメタだの好きな言葉を入れれば良いのです。
先月あたり、上七軒の鮨屋で作って貰ったものを、わざわざ土産にと届けて頂いたので、写真にしました。
この際、嬉しかったので二枚も載せてしまう。
睡蓮もまだ二輪目でもないというのに、五月の花をまた冒頭に掲げてみました。
神秘主義に於いては、同じ事を指すのに、主体がプロテウス的に変容するから、相対する意味の位相なんてえらいことになるのだと指摘してますからね。
1000年以上昔からだ。
ウルタールのうる: 巻二十八 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや