飼主は金属価値くらいしかない、つまらない古銭を何枚か所持しています。つまらないから話題にしたこともなかったのですが、捨て去るくらいならせめてブログのネタにでもしようということで記事にしてみました。
まず、絵銭とは何か、ということですが、このように流通を目的として発行された貨幣では無くて、貨幣の姿をした一種の御守り、縁起物、呪物、辟邪のアイテムということになります。手軽で親しみやすいが、目的は違う。
さて、上の写真ですが状態からして本物。というより絵銭に偽物などないと言って良いでしょう。ごく最近「五帝銭」「十帝銭」と呼ばれる、古銭では無い玩具が安売りされていますけれどもああいうのはそれこそ縁起物として重宝されるわけで、国家の信用に対する挑戦として造られる品物では無いから、あらゆる絵銭は本物と言って良いのです。
怪しいのは加治木銭や一種の鐚銭というやつで、ああいうのが由緒正しい「偽物」なんであります。「偽物」としての美術的蒐集価値が高い貨幣は、本物の流通銭より評価されます。なぜならば、撰銭令などによって見つかり次第鋳つぶされたからです。供給量が無い。「天五天五」の本物(偽物だが)に如何程の市場価値があるか、知ると市場の価格形成についてのいい勉強になりますな。
写真で表裏をご覧いただいたこの絵銭は、記念品として清代に出回った物です。康煕帝が、国内鎮圧と外征を繰り返して、清朝に属する地方名を列記して詩にした文言を、銭に鋳写して記念品とした物です。統治記念メダルと思って宜しい。
こちらは福寿銭。よくある、幸せのコインですね。福寿の異体字を鋳込んであるわけです。
こうして読めるほどすり減っていないので、そんなに旧い物では無い。
謎の絵銭黄欏朱布(字が出ないから当ててます)
吾君萬年などと書いてあるので、何れかの君主(皇帝かどうか知れない)を讃えるために造られた銭であろう。
このようにして、絵銭といっても、プロパガンダに用いられてきた歴史を証明する実体ともなり得るのであります。
そして、種類の限られた流通品でもあったということから、かつてはメディアそのものであったとも指摘することが出来ますね。
ウルタールのうる: 巻八 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや