信春の梅はこぼれましたが、こちらは三分咲きの頃撮った写真など。
菅公の梅です。
春宵の香といえば白梅であります。
ローティーンの時に梅の練り香を全国で探し回ってなにやらそれらしきものを見つけたはいいが、焚いてみたところが、どこが梅なんだか分からんといった思い出がございます。梅についてはいろいろと語れるぞ。
こちら、嵐山の進入禁止の寺の山門。
このあたりに旧い石仏なんぞが並べてあるのは、土地整理でもして残余のものをまとめてあるんではないのか。
京都の寺ならそれくらいやりかねんよ。
蓮池だけは枯れても見事なものであるが。
16日午後11時36分頃、M7.3の地震があったようです。まだ仁がこの国にあることを信じましょう。人が人を助ける、最も根本的な社会感情です。詐欺的なものはこの数十年を見渡すと、五徳のうち、何から崩れていくか飼主はよく観察してきました。
詐欺的強欲は智に次いで礼を等閑視するようになる。智は身につかず、守礼を破れば易い方に流れる。言い訳ばかり増えて、何もしないことを選ぶようになる。生きて行ければ良いとするならば、次に義を破る。不義の利得を尊ぶように成る頃には、勤労や思考の精密さを侮り、やがて不義の徒党が横行し、身内で利を回す。信が失われる頃、インフラや政令や労務の水準が切り下げられる。このとき、社会は荒廃し、最後に仁だけが残る。
今、頼れるのは仁のみ。仁が崩れるならば、死を選びなさい。あなたは人を殺さなければ生きられなくなる。最初に智が壊れている者には理が通らないから、市場にも社会にも礼を失うのだ。無知者が無礼なのは宜なるかなである。これらを身内にしてはならない。
ウルタールのうる: 巻二十二 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや