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Channel: クルシャの天地
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ファインアートをカプセルトイは洗浄できるか?

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なんか20世紀丸出しのタイトルで恐縮です。タイトル通りの愚痴なんであります。飼主もファインアートの歴史や作品について調べたり、フィクション構成する仕事してたんであらかたのことは知ってますよ。現に今でも関わってますしね。


そんな関係もあって、この五年くらいブログで関心を傾けているのはファインアートの作品でも作者でもなくて





カプセルトイですよ。

ブログを長年閲覧して頂いてる諸賢にはよく見慣れた写真だと思われますよ。
現代のファインアートは死んでいます。死に体ですらない。理由は簡単に三つ。
1.政治・イデオロギーの草刈場であること
アートが政治的であってはならないなんてことはないわけで、大いに階級や時流を摘抉すれば良い。ただし、アートの上級審としてポリティクスが機能するようになったら、アートは毒薬の海で生きるしか無い。


2.アートの自己規定が崩壊していること
19世紀以来のことです。もやArtificialなものさえアートの十分条件とは言えなくなった。この迷子には居場所がない。そのため派生的な活動でしかない、単なる再現芸術だとか表現手法の手習いまでアートとなる。創造性の介入しない創作行為とは何であるかも、最早語られることも無い。


3.投機対象市場である
画商とオークショナーが仕切る世界。ここは囲われた欲目の世界である。買うから値が付く、値が付くから買う。価値は画商とオークショナーが参考価格をはじき出して決めている。極端な話、落書き作家のビデオを撮影していた男が、彼らの手法を表層的に真似て自分で値付けしたコカコーラの空き瓶なんかを、個人美術展作って売り出したら即完売したなんていうドキュメンタリーがあったりする。この男には商品価値としてのアートしか最初から存在しないが、欲目だけで成立してしまうと言う皮肉まで含めてのアートなのだなどというくねった解説が現れるに至っては、何をか言わんやである。


さあ、さあさあ、この三つを全否定できるとてもミニマムな世界があります。





カプセルトイの世界へようこそ。






というわけでね。飼主は大人のカプセルトイの世界を追い続けているのですよ。






最後のこいつは、玩具だよね。





羊羹の世界?

そこはあんまり深く考えたらいけない。



日没の背後にある山 (うるたやBOOKS)
東寺 真生うるたや 

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