年が明けましてございます。
令和三年となります。
昨年は子年だったので、ふと『鼠草子』を思い出しました。あらあら見た憶えでは、四条堀川の娘に五条油小路の鼠の長者の倅が恋をして、失恋するという話だったなと。
つまりこのあたり五条油小路は子年に縁があったわけです。
新年から去年の話ですか?
飼主の不適切さについて、まだ君は理解が足りないようだ。
とにかく、平安期中盤から鎌倉時代までこのへん繁華であったし貴顕の屋敷が並んでいた。戦前は松原京極とも呼ばれていた。昨年末、go to トラベルが盛んだった頃に古地図を見ながら楽しそうに歩いているご婦人を拝見しましてね。
いずれ、君と暮らしているこの場所も古典に出てくる名所なんであろうと思って、すぐに思いだしたのが『鼠草子』だったわけだ。松原となる前は五条なんで、五条油小路というならばこの辺りなわけだ。
鼠の長者の屋敷跡、ですか……しかも去年の干支……
大正時代の小説で、吝嗇な金貸しが豪邸に住んでる場所として設定されてたりもする。『鼠草子』の印象が近代まで続いてたのかもしれないね。
鼠は失恋して、傷心を癒やすために熊野詣をして、道中「猫法師」と同行して熊野詣を達成しましたとさ、めでたしめでたしってなるんだが、五条油小路が出てくる話は他にもあった。
件のご婦人がわざわざ訪ねてきた史跡はその別の方だろうという話をこれからするのですよ。
そこまで違う話を振ってから本題に入るとか、不適切界の王ですね。
いやいや、それほどでは。せいぜいのところ、侯や受領だろう。
とにかく、五条油小路というのが幸若舞の『堀川夜討』に出てくる。なんでもこのあたりに源義経の邸宅があって、誰ぞから放たれた刺客が義経公を討ちに来る。土佐坊とかいう男なのだが、これが独りで武士の居館を襲うくらいだから相当な手練れであるよ。
面白くなってきましたね!
ちなみに、『堀川夜討』にしか、その記述は無くて、義経公の史実上の邸宅跡は近場なのだが、精確にここじゃないという話もある。
さて、土佐坊はここまできて弁慶に見つかってしまう。相手が弁慶でも、特に雇われた手練れなので、土佐坊は逃げないし、むしろ弁慶を倒してさらに義経公を手に掛けようとする。
『三国志演義』でいうと、曹操を守るために悪来典韋や許褚仲康なんかが奮闘するようなもんだね。まあ、弁慶も典韋と同じく「立ち往生」することになるんだけどね。しかし、弁慶が滅するのはこの時ではない。
頑張れ弁慶。
弁慶の得物は、八尺五寸の棒なんだそうだ。
棒と言っても、断面が六角形になってる鉄木みたいに堅いやつだね。この時代に鉄木は使われて無かったと思いますが。この長いヤツで、土佐坊を散々に打ち叩く。
土佐坊も打ち刃物か何かで向かってくるわけだから棒に当たると傷が出来る。このときに棒に出来た傷が八十三カ所もあったというぞ。
そして遂に弁慶が土佐坊を降すわけなんだけれども、暗殺者も日本一の豪傑が相手では運が悪かった。そんな事件が起きたという、義経公の居館跡がこのへんです。
改めて、新年おめでとうございます。
そんな殺伐たる挨拶がありますか。
目出度し、猫にたしなめられる正月。
ウルタールのうる : 巻二 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや