お出かけですか?と飼主を見上げるクルシャ君。
そうです。放っておいても出歩かない飼主が、自粛をするものだから歩き方も忘れるという仕儀にならないように、たまには無用に出歩いてやろうと思うのですよ。
何か文学的、学術的なことやってるのか君?と定期的に尋ねられてしまう団体に所属しているので、たまには猫以外を見てひとりごちなければならない。
まだあるんですね、マルフク看板。
ここは、飼主がまだ通ったことがない、堀川以西の通りのひとつ松屋町通。
軒並みな昭和の空気が漂う、観光客の来ない京都。
この空と屋根の境にものすごい既視感がありますよね。小学校の通学時に繰り返し見て、インプリントされるやつです。
違う町で暮らしていても、同じ空を見ているのですよ。
琺瑯看板と板塀というだけで、通ったことが無い通りを歩いて良かったなと思いますね。
本当に手近で無目的な散歩の様子で、申し訳ない。しかし、もっと情けないことに、この記事は次回へと続いてしまうのです。
日没の背後にある山 (うるたやBOOKS)
東寺 真生うるたや