クルシャ君、すぐ近くにとても小さな
店が出来ていたのを最近知りました。

あまりに目立たないので、素通りしてました。

興味ありませんが
そうですか。飼主はこういうの、惹かれるんですよね。
小さくて、小綺麗で、和ませてくれる。

夜、通りかかったら、こんな感じでした。
中も狭いのかな。

行くんですかね?
できるだけ、クルシャ君と一緒に居ますよ。
かわいらしい神社とか、地蔵堂を見て、いつもほっとしているとして、
突然空き地になっていることにある日気付いて、呆然とするなんてこと
がこのあたりで続いているのです。
それで、思うんですよ。
そんなに惜しむくらいなら、失う前になぜ通っておかなかったのか、と。

こうして見ると、いい感じですよね。

こっそり大事に思っている、とか、いつか大事にしよう、などと
思っていると、それが失われたときには、惜しむ気持ちが何か
犯人捜しのような怨念に似たものに変わってしまう。
そんなもの、失われた何かに対する愛惜でも何でもない。
自らの不明と弱さを他に転嫁してるだけです。
ですからクルシャ君、いつか愛そうと思っているものを眺めて
満足していてはいけない。その気持ちがあるなら、今すぐ近くに
行って、できる限り愛しんだ方がいい。
何がいつ消えるか分からないし、自分が消える方かもしれない。

そんな
惜しむのは嫌だね。我々の時を奪われた、なんて思いたくないね。
飼主はクルシャ君と生きることを選んだ。
だから、惜しむことが無いように、愛しむことにしている。
知ってた?
