嵐山の川舟。
舟の起源は黄帝だということに、伝説ではなっております。
「自然居士」でそのへんを説明してましたが、他で見る説明と違う。
中世の説話の自己変容は、物質の結晶が突出部を形成するような
規則的な自律性があるように見えて仕方ないんですが、そんなのは
規則性あるべし、と考えてモデルを適用してるからなのかもしれない。
大体、原因と結果というのだってモデルですからね。
痩せるとケトン体が出てくると言われていたのが、最近では
ケトン体を外部から接種すると、痩せるなんてことになってますよね。
敢えて嵐山現地と無関係なことを書いておりますが、観光地で観光に
集中して他のことをしない、なんてつまらない。目に入っただけでもう
見ているのに、殊更見ることに限定して現地に望む必要が分からん。
むしろその場に居ることを楽しむには、別のことをしていた方がまだ
記憶にも残りそうなものです。
飼主の場合、バスで230円の運賃のみで行ける場所なので、観光地に望む
気合いというものが極端に欠如しているに違いない、とは思うのです。
盛夏の嵐山
さらに動画をどうぞ。
季節感満載であります。
この前後、夜間驟雨の中の五山送り火を例年のように見物したのですが、
すっかり真夏の過ごし方を日本人として楽しんでいることに、僅かな
申し訳なさを感じます。この国には、飼主なんかより夏を愉しんだ方が
いい人がいるんではなかろうかと、いつも思う。そしてここが、どうしようもなく
飼主が日本人であってしまう所なんでしょう。
この写真とか、戦前の写真葉書の構図と、ほぼ同一で同じ風景。
しばらくして、二条にあるラーメン屋で食事。
また別の日の夕方、
鴨川あたりを歩いていると、夏祭りやってました。
こういうの、戦国時代の屏風で見たことがある。
あれと同じだ。
比較的狭い地域なのに、東西両川の河原の景色が随分と違います。
水のソーテール2: 歌うメムノン (うるたやBOOKS)東寺 真生,明鹿 人丸うるたや
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