暑いので最近転がっていることが多くなったクルシャ君。
夏毛になってもふわふわです。
このところ、バテ気味ではなかろうかと余計な気を回して
缶詰やちゅーるやまたたびを与えていたところ、こうしたご褒美
に接する度に実に嬉しそうにしてくれるので、与える方もつい
自制を失いそうになります。
クルシャ君を天使と呼ぶのも喩えであって、何も文字通りに斎祭って
いるわけじゃありませんからね。そうしてあまりにも違う範疇のもの
と比較される側も迷惑なものとは思いつつ、ある程度は尊重する
距離感が必要なのはヒトも猫も同じだということなのです。
ところで、クルシャ君を天使などと呼ぶのが余程奇妙だとすれば、
飼主なんかよりもっと奇妙な設定を堂々と通している広報誌が
この都市にあります。
市バスの車内で発見した『京都市民しんぶん』の5月の企画記事。
エコカレ
元ネタが何なのかよく知らないのですが、いずれ恋愛ゲームか何かであろう。
ここに三人のキャラクターがいて、全員が妖精なのだ。
髪の毛がカラフルな兄さんにしか見えないんだが妖精なんだな。
もっと寄ってみました。
バス車内でこれを撮影するのも、相当恥ずかしいのでした。
注目したのはもちろん、口元やや開いて皓歯光らせている
生ゴミの妖精である。
かつてこれほど、ご都合にやりっぱなしにされたキャラクターがあったろうか?
戸惑ったり、同情したり、あるいは義憤を覚えたりされまいか?
ハートはいいとしても、生ゴミの水分をぎゅっとするんですか、その手で。
写真を見て初めて理解したのですが、3キリ、ってなってるんですね。
いやむしろ生ゴミの妖精にキリってされたら、どうすればいいんですか?
3キリというのが生ゴミのシンボルだったらしい。
ふきだし記号に「キリ」と擬態語が付いてるわけではないところが、極めて
紛らわしく、またいっそう怪しげにそぞろ趣を増すところではありませんでしょうか。
うちの天使は猫でいいです。
いやむしろ猫で良かった。発想が凡庸で。
幸せの要諦は、好んで愚昧に埋没することである、とエラスムスが言ってます。
水のソーテール8: 蛇女エデムとナイフ頭のタウィスカロン (うるたやBOOKS)東寺 真生,明鹿 人丸うるたや
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