タイトルの通りです。
自分が幼稚園生くらいの頃に気分が高揚して楽しかった事なんかを
思い出すと、結構他愛ないことで随分はしゃいでいたことがいくつも
あると思います。ヨハン・ホイジンガなんかの言う文化化された遊び
以前の、単にうれしがりの遊びの根源みたいなものが横溢している
状態がありましたよね。転がるだけで楽しいとか。そうした状態を
当ブログではずっと「きゃふきゃふ」と形容しています。その遊びの
根源のトポスを「きゃふ魂」と呼び、きゃふ魂が分節してルール化
されたものが、ホイジンガの言う「遊び」なわけです。
きゃふの開放されない遊びは、単なる作業または苦役なのです。
クルシャ君はきゃふきゃふ。
人間以外の猫だってきゃふきゃふ。
今回は、椅子の背にしがみついてはしゃいでいます。
ベッドのシーツを取り替えるとき、飛び込んできてシーツとマットの間に
潜り込んできて、きゃふきゃふ。飼主も猫並みだった幼い頃、よくやってました。
同じなんですね。
だから、椅子の背にしがみついてわくわくするのも、なんとなく分かる。
椅子の背に抱きつくラガマフィン
尻尾振って楽しげにテンション上げているのが分かると思います。
ちょうどいいサイズと感触の場所にお腹密着させてしがみついているのが
なんだか楽しくてきゃふきゃふ。
これはミミクリかイリンクスか、なんて思わない。
でもその時はいずれ過ぎ去る。
所在なげになって、他のことが気になってきます。
窓の外で鳥が鳴いてるみたいですね。
日没の背後にある山 (うるたやBOOKS)東寺 真生,明鹿 人丸うるたや
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