クルシャ君、柱の陰で恥ずかしがってますね。
いまさらですが、貴重な資料がネットで閲覧できるおかげで長年の疑問
があっさり氷解して、世の中がクリアに見えること甚だしい。
「獣(しし)喰った報い」というのが熊楠によると、鷹匠が鷹を飼うのに
生きたむく犬から身を剥ぎ取るようにして、鷹に喰わせていたなどという
残酷なだけのホラ話から、猪狩りに使われていたむく犬が鷹匠の鷹に生きた
まま啄まれるなどというプロメテウス的受難の物語を挿入しておいて、実は
その慣用句の元は「獣食ったむく犬」なのである、なんぞと吹きも吹いたり
大ホラ吹きも甚だしかった記事なんかを純真な飼主なんかはやや間に受けた
おかげで、若い頃ファウスト博士に嘘を仕込まれた医者が後に本人を捕まえて
おいて恨み言を吐く気持ちが分かったりするわけなんであります。
実際、このへんのことは調べると一時間もせずに、ネットで周辺のことを
調べられてしまいます。ありがたいね。
相変わらず恥ずかしがっているクルシャ君。
今日は近所のことを調べたのだ。
そもそも、その戯れ歌を覚えたのは飼主が高校生の頃。
大田南畝の初学者への贈りものということで、起承転結の展開を完結に
覚えるための戯れ歌として耳に入ったのです。しかも一度聴いたら忘れない。
その歌にはバリエーションもあって、地名が京都でなく大阪だったり、娘の
年齢に違いがあったりしますが、
およそ歌意は同じで、物語の展開構成の基本を示したものです。
飼主が聞いたのはこちら。
起 京の五条の糸やの娘
承 姉は十六妹は十四
転 諸国大名は弓矢で射るが
結 糸やの娘は目で殺す
いかにも大田南畝らしい。
こういう初学の覚え歌とか基礎的なサインを押さえているかどうかで、実はある
領域への通過がチェックされることがあるので、この類いのものは見つけ次第
取り込んでおきましょうね。珍しく最初の情報からこうしてブログでお伝えして
おりますのは、どうもこの飼主の住んでいるあたりが、かつての「京の五条の糸や」
周辺であるらしい、ということを探り得たからなのです。
ここで重要なのは、「糸や」とは「屋号」ではなくて「町名だった」ことに気付いた
ことでございます。さっそく便利な古地図検索をするのです。
天保元年の地図によって、菅大臣神社のすぐ脇辺りに「糸や丁」を発見。
当時の五条は現在の五条より北にありますから、五条の糸や、というのは
現在の菅大臣神社近くの非常に限られた通りに面した地区、ということが
分かります。糸やの娘は、糸や町に住んでおった娘であって、このあたりに
また紛らわしいことに点在する「糸屋または呉服屋」の生業に関わる屋号
のことではなかろう、と言えてしまうわけです。飼主は「糸屋」という一般
的な呼称で糸商いでもやっている店の娘だろうと思っていたが、違うかも
しれない。現に五条に糸や町があったのだから。あるいは糸や町にあった
糸商いの糸屋の娘かもしれない。しかしいずれにしても、南畝の章句にある
「京の五条の糸や」がピンポイントでどこだったのか、分かったわけであります。
天保元年は大田没後七年ほどになります。ほぼ同時代の「京の五条の糸や」が
どこであったか、また何であったかについて検討する際、古地図が役に立つわけです。
この作業を飛ばすと、論点先取みたいな雑な思い込みが続くことになる。
ここ大事だよ、クルシャ君。
諸国大名は弓矢で射るが
糸やのクルシャは猫パンチ!
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