依代(よりしろ)とか影向(ようごう)とかいった日本の祭の根幹に関わる
概念を網羅的に理解できたらならば、基本的なところだけではなくて文化の
基礎もほぼ完全に理解し得たと言って良い。余計なことはいらないから、この
あたりだけ貪欲に追究しておれば、西アジアから東地中海の古代で何故物神が
排され、偶像が嫌われたのかも理解できるのですよ。
物神や呪具信仰が上古に根強くあったのは間違い無い。
祇園の神話の基底になっている牛頭天皇の物語では、最終的に茅巻が厄除けの
呪具として顕れるわけで、そのへんは上古以来の呪物に対する眼差しというか
リスペクトというか配慮がなされているくらいに思って居ればよろしい。
祇園祭が形式的に成立した中世では、実体から現象への宗教感情の基礎的興味
の移行が顕著に見られることを飼主はここで断定的に主張する。
即ち、呪具はよりシンボル性を高め、聖なるトポスはそれ自体が移動する山鉾
となり、依代の概念はほぼ完成する。祇園祭の山鉾が依代であるのは言うを俟たない。
上古の依代の代表といえば、岩上祭祀の祭場であった特別な岩や樹木であったわけ
なんだけれども、近場で探すならば最寄りの聖なる岩は、堀川沿いの二条城の敷地
あたりにあった。現中山神社の面した岩上通は、岩神通りであって、磐座すなわち
岩の依代があって、儀礼が行われていたことが分かっている。
すなわち、トポスと実体に固着的に規定された上古の「聖なるもの」に関する宗教感情は
より現象、関係、移動性、非実体的な同質性へと力点が移行していったものと思われる。
同時に聖なるトポスも実際の場所から、幻想的な空間に移行する。
ドイツ古代祭祀の拠点であったエクステルンシュタイネ(Externsteine)が神秘主義と
ロマン主義と象徴主義を経て、ようやくベックリーンの「死の島」にイデア化されるまで
1000年。違う道を経て、牛頭天皇の神話を借りつつ、聖なるトポスは祇園祭の山鉾に変換
されるに至る。
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