前回からの続きでございます。
写真にし辛い。そもそもそこを写真にしないだろうというものを
敢えて撮影することが、後に役立ったりするからあなどれない。
そうした試みをわざわざ、参拝コースを辿りつつ、どこを撮影しても
絵になってしまうこの境内で行うことには、一種の修行みたいなものです。
玉櫛笥みもろと山を行きしかばおもしろくしていにしへ思ほゆ 『万葉集』
三輪山のことを三諸(みもろ)の山と、よく万葉集で言い換えています。
上に掲げた歌の「玉櫛笥」(たまくしげ)というのは化粧箱のこと。
化粧箱持って三輪山に行くことも無いので、三諸の「み」を引き出す枕詞なんだそうです。
玉櫛笥と言えば三諸の山の三輪の山。
万葉集の頃には、古を忍ぶよすががこの道にもあったということですかね。
奈良時代の人らがより古い頃を思いながら歩いたことを知ると、
このあたりの道ほど代々の人らによって醇化され、清浄を守られてきた場所
も珍しいわけで、今は現に一時間に三本くらいしか電車も来ないJR三輪駅の
田舎の静かさに沈んでしまって、日が移ろう中に眠り込んで仕舞いがちなのを
軽く通っただけでも既に洗練されてしまっている絵札のような春と参拝路ばかり
が浮かび上がらざるを得ないという凡愚の時間を、強烈なストップを伴う
意志力と魔術によってねじ曲げてでも何やら古人に忘れられた空隙を見いだそう
なんてことが、修行にならないわけはないんであります。
そして、飼主はついに見つけました。
三輪にやって来て、こんな写真はないだろうというのを。
拝殿横の地下にある休憩所の写真。
でも惜しい。
もっと頑張れた。
できれば休憩所の薬缶とか、白茶碗に青線を張ってさらにその青線を白丸で
抜いてある、あの昭和の懐かしい湯飲みみたいなのを休憩所のテーブルの上に
発見できたならば、赫赫たる成果であった。
今回の成果はあれですね。
「飲み残しはバケツ」
ここでちょっとだけ勝った。
おまけは喫煙所。
今時は神社の休憩所にも喫煙所があって、なかなか気が利いてますよ。
だれでも使える場所の顔をした公共性の空気、写真になってますでしょうか。
こんなの、写真にならんでしょう普通。
こちらが今回の修行の結果であります。
採点 58点
評 成果物が及び腰であり、積極性が欲しい。なんとか課題の目的を理解した程度の結果である。
58点かよ、と愚痴りながら狭井神社への道を辿りまする。
やがて芽吹こうかという樹の手前には満開の花があって、池の上を春風が渡って
参ります。ここではもう完全に古人の意識に吸われてしまってください。
こんな景色を我々に遺し、また維持できていることで、自分がどの辺にやがて
行くことになるのかを、おぼろに妙なリアリティが雲霞の底から浮かんで参ります。
ちょっと行くと狭井神社。水飲み場であります。
屋根の修理終わったみたいですね。
屋根ばかりに目がいってしまいますよ。
狭井神社といえば、水。
そういえば、『万葉集』にも
三輪山の山下響み行く水の水脈し絶えずは後も我が妻 『万葉集』
というのがあって、水は昔から豊かだったようです。
京都の西松尾大社も酒造り、山が神体、水が豊かとなんだか三輪山に似ています。
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