こんばんは。
最近覚えた押し入れの中を拠点にしてカメラを窺っているクルシャ君です。
雑誌の専門家の見識に触れますと、どうやら猫は快−不快の気分が
基本感情になっていて、それ以上の気分や気分に伴う判断はないと断言されてます。
そうなのか。
なんだか残念。
ところで、猫の複雑に見える行動でも、実は条件付けされた学習の結果
だというのです。つまり、猫は類推なんかしない、というのです。
それにはちょっとした反証ができるような気がします。
というのも、クルシャ君はどうも「類推する猫」みたいだからです。
条件が整っているときに毎回同じ結果が期待できるときに、猫が
何かを学習して、いいことを覚えたり嫌なことを避けたりできる、と
いうのがどうもよくある見解みたいなのです。
すると、もし一度も自分が起こしていない事態について、自ら特別な事態を出来させ、
何らかの結果を期待するような行為が見られたとするならば、それは類推が働
いたということになって、単に環境の状況に左右されていることとは違うと言える
のですよ。しかもその行為が決して偶然でない場合は特にそうです。
たいした違いは無いと思われるかもしれませんが、それはもう
ネアンデルタールとクロマニヨンの違いに匹敵する相違です。
片方は環境に縛られている、片方は自分が環境を整理するための「世界」を投げ与える
ことができる。
全然違う。
クルシャ君は類推する猫です。
もっと他の猫の行動も観察すると、クルシャ君が特別では無いことが分かると
思います。
という長い前提を置いて、何があったのかという話をします。
1.ちくわ
クルシャ君はちくわを食べます。口が小さいので一本与えても食べられません。
飼主が細かくちぎって食べられるサイズにしておやつ代わりに、たまに与えます。
ある夜、台所に置いてあったちくわを引っ張り出して、しばらく転がして遊んで
いたクルシャ君は、どうも食べたいと思ったらしく、遊んでいたちくわを引っ張って
きて、寝ている飼主の広げた手のひらの上に置きました。
こうすれば、飼主がちぎってくれると類推したわけです。自分で持ってきて飼主が
ちくわをちぎったことなど、一度も無かったのですから、クルシャ君は類推した
に違いありません。結局寝ている時に猫にいきなり手の上にちくわを乗せられた
飼い主は、半分ぎょっとしながらそれがちくわであることを確認してから、クルシャ君
にちぎって与えたのでした。
2.まんじゅう
クルシャ君はまんじゅうも食べます。
以下、ちくわとおよそ同じ展開。
饅頭は、その包装紙を外して、やっぱりちぎって与えて欲しかった
のではないかと思ってます。やってませんが。
もうね、寝ている間に猫が饅頭や竹輪をくわえてきて、手の上に置くとか、
こんなこと初めてです。
いつかまた別のものをクルシャ君らしい発想でもって寝ている飼い主のところに
持ってくる日が来そうです。
テープの芯で遊ぶ猫
欲しがっていたので、テープの紙芯をおもちゃに与えてみましたが、
撮影しているとあまり遊びません。
一歳を前にして、クルシャ君なりに成長しているらしい冬です。
誤飲誤食、脱走とか、危険なこと以外ならどんなイタズラでも
受けて立つぞ、と。
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