「夢で見たあの場所」
あの場所、とはどこか分からない場所です。おそらくどこにもない場所なのですが
たまに連れて行かれるので、印象だけ残っている場所。それは夢で出かける場所
だから、地上のどこでもないわけです。広くて、明るく、見通しの良い、威圧的な
感じのする場所であったり、暗くて狭くて猥雑で人の気配の絶えない場所であった
りします。
それは人の夢の中に織り込まれている普遍的な街並で、かつてあったかもしれないし、
将来に見られるかも知れないが、現実である必要はなく、可能な状態で半現実のまま
ストックされている。その姿を現実にすると、懐かしく思えたり、寒々しくかじかんだ
印象になる。初めて出かけた街で、そんな印象を得るのは、誰もが夢で出かける「そこ」
の半現実を、現在の印象が喚起しているからだ。
このシリーズ、前回は2月の11日でした。
不定期に続いていくのです。
京都市内の街角といえば、必ずこの地蔵堂。
今まで、何度も出てきていると思います。
毎回違う地蔵堂を載せているのです。
今回は、飼主の住まいのごく近所を回ってみました。
建蔽率(けんぺいりつ)100パーセントが町屋の基本ですよね。
みっちり建っていることでトラブルが起きたなんて聞いたことありません。
細い道が縦横に伸びているこのあたりでも、何十年も前から話題にされて
行政が指導している懸案というのが、看板問題なんですよね。
こうやって見通しても、派手な看板なんてありません。
それはもっと広い通りでも同じで、広告だらけの乱雑な印象が年々整理され
てきています。街中の看板減らすだけでも、長年の指導が必要みたいですね。
揚げたてのコロッケみたいに錆びた、いい色を出している外壁。
午後なので斜めに西日が射しています。真夏にこの状態だったら、家の中は
たいへんな暑さになりそうですね。そうでもないのかな。中でコロッケにされる
のは嫌ですよ。
そして街中に立ち上がる煙突。
すぐ近所なのに、あの煙突の正体をまだ飼主は知りません。
銭湯があるのかな。低い街並みの星に近い場所は、夢によく出てきます。
今回はこの距離で記憶に収めておいて、次回肉薄してみたいと思います。
このへんから、見過ごされがちなこの街の個性が表れてきます。
テラスなんですよね。ガラス張りで、二階のサンルームだったはずです。
そう。だったはず、なのです。今は植物が窓際の日光を完全に遮って、中は
ほの暗い空間となっていることでしょう。世話されているからこれだけ繁茂
しているわけで、この状態で問題ないと管理者さんは思ってるわけなんですよね。
植物の影を楽しむサンルーム、おや、連歌の句ができたぞ。
こちら、三階建てです。
丸窓に外装時計付き。
モダンそのもの。こういうのを探していた飼主です。
京都風に言うと、いやーモダンやわー、って感じですかね。
違和感なくあるので、見上げなければ全容の雰囲気が分かりません。
ソフトハットかぶった紳士と会釈しながらすれ違う夕方の夢の中
にある建物というのが、飼主の場合およそこんな感じです。
よく見ると、時計も現役で動いています。
中には、アプローチがよく分からない建物もあります。
向こうに見える二階部分のある建物群がそうです。
空き地を利用した駐車場から、かろうじて二階部分が覗き見られるのです
が、どこを通ればたどり着けるのか分かりません。
ほんの幼い頃、飼主は建て増しされた、まさにこんな感じの建物の中に
実験室を発見しました。もちろん、侵入したわけじゃないんですよ。敷地
の中にあった誰も通わない建物の奥の施設だったのです。その場所で飼主
は薬品やガラス管や計量器具やら、何かの配合指示メモなんかを見ながら
夢なのだか現実なのだか分からない実験に熱中してました。
こうした建物の奥にあるブロック塀の向こう側。そこにはまだ飼主が幼かった
頃に通い詰めた実験室が残っているかもしれません。
夢でよく、見えているのに届かない場所が現れます。そこは、すぐ届くほどの
近さにあるというのに、どこをどう回ってもアプローチがない。
妙なことに、同じ体験を現実でもよく繰り返しています。
いや、それは方向音痴的なアレだろうと。これは夢と同じだなんて思うことで、単なる
方向音痴的なアレが、二重に目眩を引き起こします。
どこへ出かけても、町の狭い範囲で日々の用は足せた時代に、開いていた
個人商店の名残がここにもあります。
電線。空を蜘蛛の巣のように覆う電線。
夢の中で、場所や施設が作り出す限定、というのが効いてくる場合が
ありますね。空飛ぶ夢で飼主を地面に戻し、自由にしてくれないのは
いつもこうした電線です。
巧妙に電線の間をすり抜けることが出来ずに、引き戻されてしまいます。
口の中に、電気の味がすることもあります。夢の話ですよ。
奥の方にまだ現役らしい店が見える路地。
気を付けていないと、こうした路地も日常では素通りしてしまいます。
本当は、猫を見つけたかったのですが、代わりに
仁王像。
以前、寺でもあったのでしょうか。現在は普通の民家の前に立っています。
これくらい古いと、近所を走り回っていた新撰組が何度も通り過ぎたかも
しれませんよね。近寄って調べましたが、刀傷はないようです。
立ち止まったり、見上げたり、一歩だけ踏み込んだり。
それだけで、この町はまだ夢で見た場所を見せてくれるようです。
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