前回、資料を集めてクルシャ君に何か授けようとしてたような気がするが、一日隔てると何をしようとしていたのかすっかり忘れるものだね。キーン博士の真似をしたのが良くなかったな。
そこはラート博士でしょう。いい加減にしてくださいね。
家政婦が、釈尊の名前を見て「プタさん」と覚えてしまうんだよね。あんまりだな、仏陀に対して。
東洋の偉大な叡智を何と心得て居るのか。一年掛けて説教したい。
まだカネッティの話にしてるんですか?これ以上の呆けは付き合いきれません。
クルシャ君の捻れ方も大概なことになっているからそろそろ本題前の軽い前触れを始めたいと思う。
豆腐を我々はよく食べる。肉食を避けるならば、より多く豆腐を食べることになる。加えて飼主の住まいの近辺は豆腐屋だらけであって、そもそも隣が豆腐屋さんだったりもするのである。少しばかり穴を掘れば井戸が出来るし、このあたりは洛中の名水が涌くというので、茶道も牛飼いも豆腐も造り酒屋も盛んだった歴史がある。そこで、豆腐の食べ方なんですが、君らまさかパックから出した豆腐をそのまま食べてないだろうね?
はっ!何か間違ってましたか!
いや何も。間違いを指摘したわけではありません。ただ、違う処理を基本的に施すことを覚えるならば、より豆腐を美味しく食べられて、人生が豊かになると思われる。その方法について伝授してから、話を続けたい。はっと思わせるのは、よくある修辞法ですね。教師はみなこれをやる。
祇園豆腐にしましょう、みなさん。
あんかけです。大きめに切っておいて、鍋に入れ、温めている間に茶碗に砂糖醤油出汁にみりんと少しの水、そこに片栗粉を入れて水溶きにし、鍋で豆腐が茹で上がる頃、沸騰状態が望ましいが頃合いを見て水溶きを流し込む。しばらく火を落として温めていると祇園豆腐になる。食べやすいし、豆腐だけで温まる。祇園豆腐にスパイスやソースを加えて工夫するならば、あらゆる料理に対応する基本的な料理にもなる。病院食のようだ、と嫌われる向きもあるが、祇園豆腐の可能性は大なりであるよ。
次、ようやく論理の整合性と直観の適切性との思考経済からの判定みたいな話にする予定。そうとう基礎を共有してないからどうなるか分からないのです。多分、ほぼネタで終わるな。
ウルタールのうる: 巻十八 (うるたやBOOKS)
明鹿 人丸うるたや