北野の梅花祭の続きなのです。前回予告したとおり。さあ、猫の目で見ると、蟆も鯢もなかりけりだ、つまらん春の野であるが、鳥はよく居ました。
蟆といいますと月にも居るとか。神仙思想の世界ですかね。この前ですね、飼主は久しぶりにヤフオク見たんですけれども博山炉が売ってるんですね。冗談かと思いました。本物ではあり得ないけれども欲しいかもしれない。
そういえばの連続で申し訳ない。しっかりと梅の話に戻しますよ。今年の北野では世界初、組織培養に成功した梅が開花したらしいのです。この時それらしき梅の側を通っていたはずなのだがどれだか分かりませんでした。まあ、そんなものが示されもせずに判ろうものなら、最早猫でも人でも無い何かになってしまうのだが。
記事で見ると、この散歩の後一週間ばかり後の話になるようです。
我々が滅びたならば「曾て日本人は梅が飛ぶと信じていた」などと言われるのかも知れないが、梅は飛ぶし、石に矢は立つのである。気合いの本質とはそういうものだ。何に何を仮託して語られているかというレトリックを理解しないならば、あらゆる表現がナンセンスになるのです。
数百年を経た梅を培養で咲かせたのも、謂わば気合いみたいなものだ。違うな。
ちなみに、ひとつ下の記事に使用された写真の一枚に、妙なものが写っております。梅ゲ枝から垂直方向に伸び上がる、光の紐のようなものが三本ほどございます。何でありましょうか。梅の若い青枝は、何も弁えず伸び上がるものではありますが、何れも日中だからといって若枝だけ半ば透明になりながら光るものなのだろうか。それは、むしろ梅の見せた気合いだったのではなかろうか。
根の周りにある輪は何でしょうか?爪とぎに寄ろうとする猫除けでしょうか?と、猫ブログらしい締め方をしてみます。
水のソーテール7: 海のアシラト (うるたやBOOKS)
東寺 真生うるたやBOOKS