夫大人立制。義必隨時。苟有利民。何妨聖造。
それひじりのことはりを立つ。必ず義に随ひて、民に利あらば何ぞ聖の造り為しに違はん、と。
まあいろんな読み方がありますが、民の求める義を実現することによって、聖代が実現されるのである、という神武帝の建国の詔である。明治の五箇条の御誓文にも言及があって、各個民が志を全うするように世を創る可しといったようなことが書いてある。本朝は建国以来、おおほみたからである民の自己実現の世界なんである。
それがどうした?
知らなかったのですが、先月那須の殺生石が二つに割れてましたね。
玄翁の一念が600年を経て、妖狐を破砕したと言うべきか。
詮議闡明された民心は義となって何百年を経ようとも、必ず不義を倒すのです。
600年は長いけどね。妖狐ごときものは懐柔する謂れもない。北条氏康なんかは
夏は来つ 根に鳴く虫の殻衣 おのれおのれの 身の上を着よ
などというもっと直接的な言い方で妖狐を倒している。
そこなんですが、氏康よりもっと先に行きたいのです。
おのれおのれの身の上を着よ、というわけか。
化生如きに君臨を許してはなりません。身の程に閉じ込めるべきです。
わかる。ところで、黒塚も割れているのだが、どう考えたら良いか?
不可思議立体 (うるたやBOOKS)
東寺 真生うるたや