みなさん、窓辺の猫ほど絵になるモチーフは無いということをよくご存知ですね。あれはいつだったろうと、失われた時を求めて飼主も記憶を辿りますと、5歳の時、そうクルシャ君の半分くらいしか生きてなかった頃に初めて窓辺の猫を見て、数分間くらいそれこそ時が失われた素晴らしい時間を過ごしていたことを今、夏の銘菓水無月の香りに刺激されて想起いたしましたよ。

自分なんかよりも明らかに賢くて強い生き物が、住宅の窓辺から自分のことを優しい目で見ている。いや、識りませんよ。このヒトの子供は喰ってもいいやつかなくらいに思ってたとしても心理的な移入なんか不可能なんで、あくまで飼主側の印象なんでありますよ。

しかしながら、このとき見上げた猫の姿と瞳は飼主にとって人生のいくらかを割いてでも、探索する価値が存する何らかの深い謎を与えてくれたのです。

探索を開始していたなんてことを、君の背中を見て今頃思いだしたよクルシャ君。そうだった、この探索は進行中なのだ。終わらない?終わらない方が良い探索なんだよ。

この魅力と不思議に結論を見いだそうとする愚か者は、最初から魅了されないからだよ。

東寺 真生うるたや